コロナ禍で初めての年末年始を迎えました。年末からの神社への分散参拝やリモート参拝、キャッシュレス賽銭など初めての事ばかりです。
昨日は息子に誘われて近くの神社にお参りに行って来ました。ちょっとした正月気分を味わう為です。
今日は昼食後にテレビのスイッチを入れると、丁度箱根駅伝の最終区間のところで、1位と2位が入れ替わる少し前でした。道路沿いの応援もまばらの中を、必死に走っている選手たちの姿は輝いていました。昨日往路で12位だった青学は総合4位で、何と復路優勝、さすがです。
総合1位の駒澤大学は道元禅師が開祖である曹洞宗の「仏教」の教えと「禅」の精神を建学の理念にしています。選手が禅をしていたかどうかは知りませんが、マインドフルネスが流行していますので、益々禅が注目を浴びるかもしれません。
泣いた選手もいれば、喜びに溢れた選手もいたと思います。しかし人生は、これがゴールではなく、一つの通過点です。場合によっては、これがスタートです。これからが重要だと思います。勝っても負けても、これを経験として今後の人生に、どう生かすかが大切です。一度の勝利に奢って失敗する人もいれば、失敗を教訓にして大成功を収める人もいます。
若さには未来と希望があります。順位も自信に通じて大切かもしれませんが、走った事を通して、何を気づき、何を悟ったか、その後どのような人生を生きたかが、より問われるのではないかと思います。ともあれ、選手の皆様、お疲れ様でした。
生き方によって、より美しくなる
「花は何故美しいか ひとすじの気持ちで咲いているからだ」
という八木重吉の詩があります。花も人間も全身全霊を込めて、一筋に生きている姿は美しいと思います。
何も背伸びをしたり、悲壮感を持って頑張るというのではありません。自分の中にある個性や気持ちをありのままに表現して生きるという意味です。
以前映画を見ていた時に、最初は主人公の女性が平凡で、どちらかと言うと少し冴えない人だと感じました。しかし前向きに一所懸命生きる姿を見ている内に、段々と主人公が美しくなっていくのです。第一印象とは天地の差でした。不思議と美しく変わって見える主人公の姿に驚いた事があります。
男性女性に関係なく、ひたむきに生きてる人は美しく見えます。年齢や外見には関係がありません。
今年も、今自分にできる事を楽しみながら、前を向いて生きていこうと思います。
ブログを通して1年を振り返る
新年おめでとうございます。
いよいよ2021になりました。夜が明けて、日が昇り、新しい朝を迎えました。それは365日同じ営みですが、正月は特別です。
区切りがあるのは良い事です。一度立ち止まり、過去を振り返って反省します。そして軌道修正したり、次の段階に向けて準備をします。
ブログを通して1年を振り返ってみました。やはり新型コロナウィルス関係の話が目立ちます。Vivienne R Reichさんの「コロナウィルスから人類への手紙」には感動して2回も引用させて貰いました。
そんな中でも日常の何気ない話もたくさんありました。ベランダ菜園や草花、昆虫の話、おやつの話など。
特別な事がなくても、平凡な日々が、こんなに幸せだったと改めて気づかされました。
テレビドラマや映画の感想も書きましたが、去年は感動したドラマや映画が多かったように思います。ステイホームの影響もあったのかもしれません。
私はなるべく「はてなブログ」で出される「今週のお題」に合わせて話の内容を考えるようにしています。自分で考えた題材ではないので、普段使わない脳の筋肉を鍛えられたり、忘れていた過去の古い記憶が引き出されたりするからです。
私にとって、ブログは心と頭の筋肉を鍛える体操であり、日記であり、様々な人とつながる場です。どこまで続くか分かりませんが、今年も細々と書き綴っていこうと思います。
本年も宜しくお願い致します。
2021年元旦
大晦日
とうとう2020年(令和2年)も大晦日が来てしまいました。誰も想像していなかった年ではなかったかと思います。
本来ならオリンピックイヤーになるはずでした。誰一人、2020年に東京オリンピックが開催されないとは予想しなかったと思います。
選手を初めオリンピック関係の施設や商売関係の人も打撃を受けたのではないでしょうか。
日本中が熱気に包まれて、華々しい活躍が見られ、胸躍る年になるはずでしたが、とても残念の一言です。
医療現場においては、悪夢の年だったと思います。「だった」ではなく、今なお戦いは続いています。正月どころではないかもしれません。
ホテルや飲食店、航空関係など様々な分野の人たちを初め、世界中の全ての人にとって大きな試練の年だったと思います。
試練が大きければ大きいほど、そこには何か気づきと悟りがあるはずです。
今私達は見えない人類の共通の敵と戦っています。人間どうしが争っている場合ではありません。歴史を見ると時として、間違った行為やズレた価値観を正す為に、様々な問題が起きる事があります。この新型コロナウィルスもその一つだと思います。
「わざわい転じて福となす」
「ピンチはチャンス」
の如く、世の中の歪みやズレが正されることによって、コロナが終息して世界が平和に向かって大きく前進し、飛躍することを信じています。
どら焼きと粒あん
お題「#買って良かった2020」
たまにお土産に、どら焼きを買って帰ります。妻も子供も好きです。私も好きです。
先日は栗入りと粒あんとチーズ味を買いました。栗入りが一番高かったのですが、意外と人気がありませんでした。チーズ味もあまり良い評判ではありませんでした。粒あんが引っ張りだこでした。全部粒あんにすれば良かったと思いました。
以前千葉に住んでいた時に、駅前に大判焼きを売っている小さな店(屋台?)がありました。粒あんなど数種類のあんがありましたが、私は粒あん専門でした。太鼓のような形の中に皮がはち切れるほどにたっぷりと粒あんが入っていました。ほっぺたが落ちるほど美味しかった記憶があります。週に1度、その大判焼きを楽しみにしていました。
横浜にいる時は、美味しい鯛焼きの店がありました。皮が薄くて、中の粒あんが透けて見えました。これもやみつきになりました。
どうも内の家族は皆粒あんが大好きなようです。もうすぐお正月ですが、元旦の朝は毎年小豆がいっぱいのお汁粉(関東では粒あんもお汁粉)です。どら焼きも大判焼きも鯛焼きもお汁粉も、結局小豆が入っていれば、何でも良かったのだと思います。お汁粉が食べたくて、元旦を待ち望んでいます。
マスクのゴム
お題「#買って良かった2020」
今朝のニュースで英国では新型コロナの新規感染者が1日で4万人と聞いて驚きました。日本では3千人台ですが、医療現場では悲鳴を上げています。世界はどれほど大変でしょうか。
低温と低湿度がウィルスの繁殖に拍車をかけているようです。更に低温と低湿度は鼻がウィルスを締め出す機能を弱めてしまうそうです。それを助けるのがマスクです。マスクによって、鼻の中の温度と湿度を保つ事ができます。
今では安くて大量のマスクが出回っています。しかし、一頃はどこの店に行っても売っていませんでした。それで自分でマスクを作りました。
生地は捨てようと思ったシャツを使いました。ゴムも手に入らないという話を聞いていましたが、すぐに調達できました。ネットで見つけた型紙で容易に作る事ができました。
家族の分を数枚づつ作りました。これでしばらくは大丈夫と思いました。しかし息子がゴムで耳が痛いと言います。緩くするとマスクが下がってしまい調節が上手くいきません。
するとストッキングをゴムの代わりに使うと痛くないという話を聞き、試してみたら本当でした。それからは息子も満足しています。
マスクと手洗いの新しい日常には慣れましたが、マスクをしなくても済む日が1日も早く来て欲しいものです。
短所の修正より長所を伸ばす
男性の私が書くのも少し変ですが、以前女性のお化粧の話を聞いた事があります。化粧の上手な人と下手な人がいるそうです。
下手な人は、自分の顔の気に入らない部分を丁寧に修正しようとするそうです。すると、もっと不自然になるようです。例えば、鼻が低いからと影を付けてみたり、目が小さいからとアイラインを引いたり、アイシャドーを入れたりします。
上手な人は、自分のチャームポイントを強調するように化粧をするそうです。口がチャームポイントの人は赤い口紅で口を強調します。目がチャームポイントの人はアイラインを引いて目を強調します。
それと同様に、人の才能も欠点を修正するのではなく、長所を伸ばす事が大切だと思います。
人には必ず得手不得手があります。苦手な事を克服する努力も時には必要ですが、そればかりに気を取られるよりは、自分の長所を伸ばす事に時間も労力も投入した方が、満足のいく人生が送れると思います。
人には必ず一つは他の誰よりも優れた才能を持っています。最初はダイヤモンドの原石のように、目立たないただの石ころに見えるかもしれません。
しかし自分の好きな事、ワクワクする事、寝食も忘れて没頭できるもの、そして人のお役に立てる何かを見つける事です。それを日々磨きながら、自信と喜びに満ちたレベルまで到達させます。
日々の仕事や生活に追われると、好きでもないのに、しなければならない事が山ほどあります。自分の才能が磨かれるのではなく、磨り減っていきます。
好きな事を仕事にできれば理想です。しかし中々そうできない現実もあります。そんな中で、好きでワクワクする事、そして誰かのお役に立つ事を毎日30分続けると、それが大きな生きがいになります。そして自己実現につながっていくと思います。
どんなに好きな事でも、誰かのお役に立たないと、それは自己満足で終わってしまいます。日々長所を磨いて輝く人生にしていきたいものです。