神様の愛「豆まき」

今週のお題「マメ」

 今年も、もうすぐ節分が来ます。子どものころは、
「鬼は外、福は内」
 と声を出して、豆まきを毎年必ずしていました。そのときの豆は煎った大豆でした。畳の上に投げた豆を拾って、そのまま食べていました。年の数だけ食べるように言われて、食べた記憶があります。

 自分が親になってからも、毎年していましたが、途中から大豆ではなくて殻付きの落花生になりました。衛生面を考えてのことでした。
 最近は子供も大きくなり、まったくしなくなってしまいました。

「鬼は外」と言いますが、「鬼」は本当にいるようです。「邪気」は「邪鬼」に通じます。「魔が差す」とか「病魔」「邪魔」「色魔」「睡魔」の「魔」も、字の中に「鬼」がいます。
 どうやら鬼は、家の中だけではなく、心や体の中にもいるようです。そして油断をしたり、不摂生をしたり、欲をかくと、鬼が侵入してきたり、暴れ出します。また神様の愛が分からなくなったり、すべてが当たり前と考え感謝の心を忘れさせてしまいます。

「血気(鬼)」「怒気(鬼)」などにも気をつけなければなりません。
「鬼」にやられないように、毎日心の中で豆まきが必要かもしれません。

神様の愛「みかん」


 毎年、みかんを箱で買います。たまに、傷んだみかんが入っている場合があります。今年は通販で買いました。一つも傷んだものがなく、味もとても美味しいものばかりです。
 バナナと同じように、みかんも皮が簡単にむけて、便利で美味しい果物です。
 末の息子が小さいときに、テーブルの上のお皿に乗せておいた10個以上のみかんを、ひとりで全部食べてしまったことがあります。子どもにとっても、みかんは身近で美味しい果物だと思います。
 みかんの皮の剥き方にもいろいろあるようです。最初はヘタのないほうから剥いていました。剥きやすいからです。
 ヘタのほうから剥くと、白い筋が取れやすいと聞き、それからはヘタのほうから剥くようになりました。

 産地の人は、四つに割って食べると聞いてからは、真似してみました。ヘタのないほうから、まず半分に、さらに十字に割ります。皮は切らずにヘタに十字についたままです。ヘタのほうからみかんを取ると、白い筋も取れて、一番簡単に感じます。

 みかんは骨粗しょう症、肝機能障害や動脈硬化、糖尿病、癌のリスクが低くなるようです。また白い筋は冷え性に効くようです。外の皮は漢方にも用いられます。私は皮をお風呂に入れて、香りを楽しみます。
 美味しいみかんを創造してくださった神様に感謝します。

神様の愛「高麗神社」


 久し振りに妻と高麗神社に行ってきました。以前行ったのは2016年でしたので、7年振りです。ちょうど7年前は、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)が高麗郡の郡司になってから千三百年目で、千三百年祭がおこなわれていました。高麗王若光は新羅により滅亡した高句麗から日本に亡命した王族です。

 高麗郡は、716年に関東周辺に住んでいた1799人の高句麗人が集められてつくられた郡です。7年前に参拝したときに、神社の境内で1799人の人の手紙をタイムカプセルに入れる募集をしていました。もちろん妻と私は、その中に入れてもらいました。
 高麗神社は高麗王若光の遺徳を称えるために創建された神社です。代々高麗王若光の子孫が神主を勤めています。
 高麗神社のすぐそばには、高麗王若光の墓がある聖天院というお寺があります。

 今回、高麗川駅から歩いて高麗神社に向かいました。途中の道沿いで蝋梅や白梅、水仙が迎えてくれました。

澄んだ水が流れる高麗川に架かる出世橋を渡ると、すぐ高麗神社に出ました。

 神社に着くと、「天下大将軍 地下女将軍」と書いてある将軍標という大きなモニュメントが目に飛び込んできました。韓国に行ったような雰囲気です。1月の下旬だというのに、駐車場にはたくさんの車がありました。拝殿には新年の参拝者がひっきりなしに来ました。
 境内には屋台が立ち並び、お祭りのようでした。参拝の列に並び、お参りをしました。じっくりとお祈りしたかったのですが、後ろにたくさん人が並んでいたので、早々にお参りを済ませました。

そして神社の隣にある高麗家住宅を見に行きました。

庭の紅梅が青空を背景に綺麗に咲いていました。

 神社の横に山があります。岩盤を削った細い急な坂道を登ると、途中、杉林のあいだから日高市の景色が広がっていました。山の上には小さな鳥居と水天宮がありました。神社の拝殿でゆっくり祈れない分、そこで祈って下りてきました。

 小さな旅の気分を味わった一日でした。妻と高麗神社に参拝したり、蝋梅や白梅、紅梅、水仙などの花を楽しむ機会をくださった神様に感謝します。

神様の愛「風呂」


 冬の寒い日に、冷え切った体で外から戻り、入る風呂ほど心地よいものはありません。まさに極楽気分です。もともと冷え性なので、体が温まると、生き返ったようになります。
 私は風呂のふたをほとんど閉めたまま、首だけ出して湯船に浸かります。サウナのように汗が流れます。
 お湯の中には草津伊香保などの入浴剤を入れて、温泉気分を味わいます。最近はいただきものの死海の塩を入れています。お湯がまろやかになり、肌もすべすべになります。20年ほど前にイスラエルに旅行に行ったときに、死海でぷかぷか浮かんだのを思い出します。そのときは、死海の泥を記念に持ち帰り、からだに塗りました。
 長湯が好きで、いつも一時間以上は入ります。リラックスした中で、湯気が立ち上るのを見ながら、瞑想したり、考え事をします。
 すると、あっという間に時間が流れます。出るときはぽかぽかで汗が止まりません。風呂上がりに水を二、三杯飲みます。最高に美味しい水です。
 お風呂に入り、生まれ変わったような心地よい気分にさせてくれる神様に感謝します。

神様の愛「車窓」


 毎日バスで通勤しています。車窓から四季折々の景色や街の様子が見えます。
 乗ってすぐに橋を通ります。下を流れている新河岸川は、江戸時代初期から明治にかけて、重要な交通路でした。江戸と川越を頻繁に船が行き来していました。江戸の文化が川越にたくさん入りこんできて、小江戸と言われるようになりました。
 この橋の上から見える夕日はとても綺麗です。バスの車窓からは、唯一富士山が見える場所です。毎日必ず富士山がある方を見ます。見えると嬉しい気分になります。
 しばらく街の中を通ります。朝が早いので、店のシャッターはほとんど閉まっています。開店準備をしているスーパーもあります。朝食を提供するコーヒー店やファミレス、またコンビニは開いています。
 通りに面した家の庭の木々や草花、玄関先の鉢植えなどを眺めるのが好きです。大きな鉢がたくさん置いてあり、珍しい植物が植えてある家があります。よく手の行き届いた素敵な鉢で感心します。
 鉢に立てた棒に沿ってキュウリを栽培している家がありました。今度真似してみようなどと思いました。
 ミカンや柿がたくさん成っている庭を見ると羨ましくなります。
 畑の野菜を見るのも楽しみです。今の旬な野菜がよく分かります。ベランダ菜園の参考になります。
 帰りのバスの車窓からはよく月が見えます。去年の月食のときもバスの車窓からずっと月を追いかけていました。クリスマスのイルミネーションも綺麗でした。
 朝の車窓からは元気と希望を与えられます。夕方の車窓からは安堵感と幸せな気分を与えられます。
 毎日車窓から楽しい景色を見せてくれる神様に感謝します。

神様の愛「鶏」


 毎朝、目がさめるころ鶏が鳴きます。近所で十羽ほど飼っている家があります。
 鶏は鳴く順番があるようです。雄の一番強い鶏が一番最初に鳴き、二番目に強い雄が次、そして三番目というふうに鳴くと聞きました。鶏の鳴き声は縄張りを主張しているようです。しかし、あの狭い鳥小屋の中で縄張りを主張しても寂しい感じがします。
 鶏は卵を生んだり、肉を提供したり、私たちにとても貢献してくれます。有り難い存在です。もともと飛べなかったのか、人間に飼われたゆえに飛べなくなったのか分かりませんが、気の毒な気がします。
 鶏は聖書の中にも登場します。イエスが兵隊に捕まり、弟子たちにも害が及ぶかもしれないときに、第一弟子のペテロはイエスのことを
「私はあの人をしらない」
 と三度否定しました。すると、その直後に鶏が三度鳴きました。神を不信したペテロに対する悲しみの鳴き声でしょうか。現在その場所に鶏鳴教会が建っています。イスラエルを旅行したときに、一度訪問しました。そのときに、ペテロの不信というよりも、人間の弱さを感じました。
 ところで、鳥インフルエンザが蔓延して、今シーズンだけで一千羽以上の鶏が処分されてしまいました。とても可哀想です。鶏さんたちの上に、神様の愛が降りそそがれることを祈ってやみません。

神様の愛「蝋梅」


 朝、空を見上げると太陽は東の空に昇ったばかりでしたが、月が太陽よりも高い西の空にまだ残っていました。満月を過ぎて、右下が少し欠けた月でした。
 バス停に向かう道沿いの畑の隅に蝋梅の木を二本見つけました。冬本番のこんなに寒い中で、いつの間にか黄色の花が満開になっていました。花が咲くまで、木の存在に気がつきませんでした。五年も住んでいるのに蝋梅の木に気がつかなかったのは、去年までは別の道で通勤していたからかもしれません。
 名前のとおり、花びらが蝋で造られているように見え、光沢があります。かたくて少し透きとおっています。
 梅はバラ科ですが、蝋梅はロウバイ科の植物です。しかし見た雰囲気は梅に似ています。本家の梅よりも早く咲き始めます。梅に主役の立場を奪われる前に、アピールしているのかもしれません。
 蝋梅の花言葉は「慈しみ」「ゆかしさ」「先導」だそうです。まだ花の少ない寒い時期に咲いて人々に喜びを与えるので「慈しみ」であり、「先導」です。花びらが下を向いて咲くので「ゆかしさ」です。
 蝋梅を創造してくださった神様に感謝します。