お彼岸の本当の意味

明日からお彼岸が始まります。お彼岸というと先祖供養のイメージがあります。しかし本来は私自身が修行して成長する意味がこめられています。煩悩から解脱して仏になるのは先祖ではなく、この世にいる私たちです。「彼岸」は向こう岸という意味です。悟りを開いた仏の世界が「彼岸」です。凡夫が修行をして、煩悩から解脱して、仏になって「彼岸」に行きます。
それに対して、煩悩に苦しむ凡夫の世界は「此岸(しがん)」です。こちら岸という意味です。今私たちが住んでいる世界のことです。
仏の世界を極楽浄土や西方浄土といいます。彼岸の中日は、太陽が真西に沈むので、昼と夜の長さが同じになります。西方浄土に成仏することを願って、彼岸が始まったといわれます。
お彼岸におこなう修行を六波羅蜜といいます。お彼岸の一週間毎日何の修行をするかも決まっています。
一日目は布施といい、他の人に喜びを与えるために尽くします。
二日目は持戒といい、規則を守り良い生活習慣をつくります。
三日目は忍辱といい、目標や願いを達成するために忍耐します。
四日目は精進といい、幸せに向かって前向きに生きます。
五日目は禅定といい、ありのままの自分の姿や周囲の事実を見つめます。
六日目は智慧といい、人として正しい道を学びます。
お彼岸は七日間ありますから、六波羅蜜では一日足りません。お彼岸の中日にお墓参りに行きますから、それを合わせて一週間になります。
本当は三六五日が修行ですが、せめて年に二回だけでも自分磨きをしましょう、というのがお彼岸の始まりのようです。
川沿いの散歩道とふきのとう

暖かい陽気にさそわれて、息子と散歩に行ってきました。暖かいといっても、風はまだ冷たく感じました。
近くを流れる新河岸川沿いに散歩道があります。川の両側にあり、片方はいつもよく通るのですが、別の道はまだ一度も通ったことがない区間がありました。その区間を歩いてみました。
すると、紅梅に白梅、蝋梅と三種類の花を見る機会に恵まれました。季節の移り変わりを実感して嬉しくなりました。



さらに先のほうに行くと、名前を知らない黄色い花が川岸に群をなして咲いていました。写真を撮り、あとで調べると「ヒメリュウキンカ」という名前でした。家のこんな近くで、初めての花と出会うとは思いませんでした。とても得をした気分になりました。

息子は花にはあまり興味がないようです。川で水遊びをしている鴨を指さして、そちらには関心を示しました。冷たい水の中で、
「寒くないのかな」
と鴨を心配していました。
その先の川岸をふと見ると、落ち葉の下に、ふきのとうが少し顔を出していました。枯れ葉をかき分けてみると、あちこちに蕾がありました。
十個ほど摘んで、家に持ち帰り、ふき味噌を作りました。苦味の中に春を先取りした懐かしい味覚が広がりました。

一時間ほどの散歩でしたが、たくさんの恵みがあり、感謝でいっぱいです。
挿し木からイチジクの実

十年以上前に挿し木をしたイチジクの木がベランダにあります。鉢が小さいので、木も細くて三十センチほどの長さしかありません。
十年たっても実がならないので、捨ててしまおうかと思っていました。ところが去年、何と二つ実がなったのです。まだかまだかと熟すのが待ちきれず、二つの実を収穫しました。妻と一つづつ食べたものの、やはり早すぎて、甘味がほとんどありませんでした。がっかりしました。
今年は実が三つなりました。去年の失敗を繰り返さないために、熟すまで待ちました。三つのうち一つだけ実の先が少し開いて、とても甘くて良い香りがただよってきました。
いよいよ取って食べようと、朝ベランダに行くと、どこを探しても熟したイチジクがありません。すると、近くの電線に止まっている鳥が大きな声で鳴いているのが聞こえました。春にイチゴの実を鳥に何度も食べられたことを思い出しました。甘い香りに誘われて、鳥が食べたのに違いありません。
「しまった」
と気づいてもあとのまつりです。悔しいやら恨めしいやらで、がっかりでした。残った二つの実だけは守ろうと、袋をかぶせて、ひもで結びました。
なかなか大きくならないなと思っていると、一つの実がだんだん腐り始めました。最後に黒くなってしぼんでしまいました。最悪です。
残った一つはなかなか大きくなりません。だんだん気温も低くなり、このまま腐ってしまうのかとも思いました。
さつまいもの葉っぱに隠れて、しばらく見ていませんでしたが、葉っぱをどけて見ると、知らぬ間に大きくなっていました。全体が紫色になり、甘い香りもしました。
今度こそ鳥に奪われまいと、その場で収穫しました。包丁で半分に切ると、とてもいい感じに実が詰まっていました。さっそく妻と味わいながら食べました。何ともいえない甘さが口の中にフワーと広がりました。大満足の一品でした。
ところでイチジクは漢字で「無花果」と書きます。花が咲かないのに実がなります。それで花の無い実と書きます。しかし実際は実の中にたくさん詰まっているのが花です。
十二月に一回り大きな鉢に植え替えて、来年はもう少したくさんの実をつけてもらおうと考えています。
スズメバチの巣の駆除

先月の話です。玄関を出て南の空を見上げると、山のすぐ上に綺麗な月が出ていました。仲秋の名月でした。朝みんなでその話をしていたのに、夕方にはすっかり忘れていました。
忘れてしまったのには、大きな理由があります。それは日没後に奨励される一つの大仕事があったからです。スズメバチの巣の駆除です。
玄関のちょうど真上の軒下に、直径十五センチほどのスズメバチの巣ができたのです。業者にお願いしようかとも思いましたが、市役所に連絡すると、防護服を貸してくれるということなので、自分たちで駆除することにしました。
日中だと蜂の活動が活発なので、暗くなってから始めました。借りてきた防護服を兄と着ました。上着とズボンが一つに繋がっており、長靴も繋がるようになっていました。ヘルメットには顔を覆う金網と肩まで下がった裾がありました。一見、宇宙服のような感じです。

兄と作戦を練って、いざ出陣です。私は以前一度蜂に刺されたことがあります。お岩さんのように目の上が腫れました。蜂に二度刺されるとショックで死ぬこともあると聞いたことがあります。命懸けの蜂退治でした。
赤いビニール袋を被せた懐中電灯を照らし、準備しておいた二本の薬剤を巣と蜂めがけて遠くから噴射しました。シューと勢いよく薬剤が出ましたが、あっという間に二本の薬剤がなくなってしまいました。
私が竿の先につけた袋で巣を覆い、兄が道具を使い巣を袋の中に落としました。袋の中では、まだ生きている多くの蜂がブンブンと音を立てて飛んでいます。とても恐ろしい気持ちになりました。
急いで袋ごと巣を、あらかじめ掘っておいた穴に埋めました。土を被せて、何度も足で踏み固めました。
翌朝、もう一度防護服を着て、外に蜂がいないか、見に行きました。いないのを確認して、初めて安心しました。
ハラハラドキドキのスズメバチ退治でした。次は、専門業者に頼もうと思います。
猫になりたい

子どものときに猫を飼っていました。私はそのころ、猫になりたいと本気で思っていました。猫が羨ましかったのです。
猫の名前はマリといいました。白と黒の斑模様の毛をしているメス猫でした。寝ていると、よく布団の中に入ってきました。冬は湯たんぽ代わりになりました。朝起きてみると、兄の布団の中で子猫を何匹か生んでいたことがありました。その後、その子猫たちがどこに行ったかは覚えていません。
マリはいつも何もしないで、毬のようにじーっと丸くなって寝そべっていました。だからマリと名づけたかどうかは分かりません。
マリは好きなときに起きて、好きなところに行って、好きなときに帰って来て、好きなときに寝ているように見えました。人と話す必要もないし、作文を書く必要もありません。何かを考えているようには思えませんでした。私はそんなマリがとても羨ましく思いました。だから猫になりたかったのです。
私はこたつで背を丸くして座り、両手を頬のつっかえ棒にして、そんなマリを羨望の眼差しでじーっと見つめていました。マリと目と目が合うと、
「恥ずかしいので、そんなにじっと見つめないで欲しい。」
とマリが言っているように感じました。
何故自分は猫に生まれて来なかったのか、いつも悔やんでいました。
猫と話ができないので分かりませんが、猫は猫で色々苦労しているのでしょうか?人間に生まれたかった猫もいるのでしょうか?猫からは人間が羨ましがれているのかもしれません。
猫が喋ったら、
「猫を舐めるんじゃないよ。猫には猫の悩みや苦しみがあるんだ。この人間は、何て馬鹿なことを言っているんだ。代わって欲しけりゃ、いつでも代わってやるよ。」
と言いそうです。
しかし、それも今となっては昔のことです。今は人間も捨てたものではない、と思っています。話すことも書くことも楽しいからです。過去の自分では考えられません。言葉で表現できることがどんなに幸せなことか、とつくずくと感じます。猫には失礼ですが、猫に生まれてこなくて良かったと思っています。
⇑ この上に「ペットとのエピソード」を書こう
▶ Rakuten 動物保護団体支援プログラム #ペットを飼うこと 特別お題キャンペーン
by 楽天グループ株式会社
食べたトマトの種から育てるベランダ菜園
今週のお題「夏野菜」

ベランダ菜園をしています。毎年夏を迎えるに当たって、春にミニトマトの種を蒔きます。必ずいつも、食べたミニトマトの種を取っておいて蒔きます。

丸いのや、楕円形のや幾つかの種類の種を蒔きました。今年は初めて中玉トマトの種も蒔いてみました。
芽が出たトマトの苗を八つのプランターに植えました。全部で二十くらいの苗が育ちました。

ほとんど全ての苗に花が咲き、筆を使って人工受粉をしました。順調に実を付けて、六月の終わり頃から少しずつ赤くなりました。
最初は一日一個づつしか赤い実が取れませんでしたが、だんだんと三個、五個、十個と収穫できるようになりました。

スーパーで売っているものよりも、味が濃くて美味しいトマトです。毎日取れたての新鮮なトマトが食べられるのは有り難いことです。
今までにミニトマトが百二十くらい、中玉トマトが五十くらいできました。まだベランダにはたくさん実が成っています。花も咲いています。
毎朝収穫するのが楽しみです。朝食で食べ、お昼のお弁当にも毎日三つづつ入れています。
もうしばらく、毎日トマトが味わえそうです。
毎日隣り街に行きます
今週のお題「となり街」

隣りの市に、わずか数百メートルのところに住んでいます。川が境になっていて、橋を渡ると隣りの市です。ですから、自然と隣り街に行く機会が多くあります。
スーパーや病院など、ほとんど隣り街に行っています。スーパーは数年前に完成したばかりです。食料品だけでなく、洋服や電気製品、本、百均など、ほとんどのものがそろっています。レストランや子どもの遊び場、ゲームセンターもあり、誰でもゆっくり楽しむことができます。

隣り街で一番気にいっているのは、川沿いの散歩道です。四季の野草園もあり、目を楽しませてくれます。道の両側から木の枝が垂れ下がり、まるで森の中を散歩しているようです。街の喧騒や時間を忘れて、散歩できるのは嬉しいことです。

自転車で通れる舗装した道もあり、サイクリングに絶好です。川で遊んでいる水鳥を眺めたり、川岸の花を見て楽しむことができます。通勤では毎日この道を利用しています。四季折々の景色を見ることができます。

市の境にある橋の上からは、朝の通勤では、晴れていると富士山を見ることができます。何度見ても新鮮に嬉しく感じます。雪をかぶった冬の富士は、毎日のように美しい姿を見せてくれます。

仕事の帰りには、川の向こうに沈む太陽や夕焼けを眺めることができます。川に映った夕日や雲を見るのも楽しみの一つです。日々移り変わる景色は、毎日見ていても飽きません。
私にとっては、もはや隣り街ではなく、こちらも地元のような感覚です。