⑥戦国~激動の世界と日本~

今週のお題「2020年上半期」
f:id:hiroukamix:20200723060202j:plain 上半期と下半期をまたいで2回に分けて、NHKスペシャルで「戦国~激動の世界と日本~」という番組がとても衝撃的でした。鎖国が長く続いた日本は、長崎以外は幕末にようやく世界との関わりを持つようになったと思っていました。
 しかし、400年以上も前の戦国時代に、すでに世界と深い関係があった事を知り驚きました。しかも逆に日本が世界に大きな影響を与えていたとは思いもよりませんでした。
 スペインやオランダの壮絶な駆け引きがあった事も深い興味を覚えました。
 当時スペインは無敵艦隊があり、世界に多くの植民地を持っていた大国でした。日本にも触手を伸ばし、信長や秀頼に銃を売りキリスト教も伝えました。
 一方のオランダは小さな国でしたが、世界初の株式会社である東インド会社を設立しました。そして家康に銃や大砲を売り、代金として銀を受け取って、強国になりました。実に当時の日本は、世界の銀の3分の1を産出していました。良く目を付けたものです。
 しかも、そのきっかけがオランダ船が日本近海で座礁した事からです。積み荷の銃を家康が買いました。関ヶ原の戦いの半年前の事です。大阪冬の陣の時には家康はオランダから大砲を買いました。射程距離500メートルです。偉大な大阪城もひとたまりもありませんでした。歴史の偶然とは思えない運が家康に舞い込んで来たのです。
f:id:hiroukamix:20200723060249j:plain 戦国時代が終わると、今度は家康から武士を傭兵としてオランダは雇い、スペインの植民地を次々と制服しました。オランダの大砲は日本産の銅で作られていました。
 それにしても、ヨーロッパのスペインやオランダが、遠く離れた日本の銀や銅の存在や戦国時代の情報を手に入れた事実に驚きを覚えました。

⑤100年前の志(後編)

今週のお題「2020年上半期」
f:id:hiroukamix:20200722055947j:plain 本多静六博士は林学や公園づくりで100年後を見越して木を育ててきましたが、博士はそれ以上に100年後の人材を育てる事に生涯を捧げました。
 生前に多くの弟子達を育てたのは勿論の事です。公園を作りながら、同時に現場で教育をしました。明治神宮の森造りも弟子達との共同作業でした。
 更に博士は毎日1ページの原稿を書き続け、後輩達の為に生涯で370冊の本を残しています。博士は、ただの理論家ではありませんでした。実際自分で実践したことを本に書いているところが素晴らしいと思います。
 また経済においても注目されてきました。生涯に渡り、収入の四分の一を貯蓄して、それを投資などに回しながら数百憶円の莫大な財産を築きました。蓄財の神様というニックネームがあるくらいです。
 しかし本多静六博士は、退職を期に殆ど全ての財産を匿名で公共機関などに寄付してしまいました。志を持った苦学生の育英基金にする為でした。今でも続いています。
「子孫に美田を残さず」
「社会で得たものは社会に返す」
という信念からでした。
 渋沢栄一の知恵袋としても頼りにされた人でした。あまり名前は知られていませんが、隠れた義人だと思います。 
 博士の印象に残った言葉を並べてみます。
「施した恩はあてにするな。受けた恩は忘れるな。」
「仕事の面白さは、努力の質と量に正比例する。」
「人生の最大の幸福は職業の道楽化にある。」
「一度引き受けたことは、些細なことほど親切確実にする。」

④100年前の志(前編)

今週のお題「2020年上半期」
f:id:hiroukamix:20200721055629j:plain 明治神宮は、今年で丁度100周年を迎えました。周りには、人工の森があります。何度も足を運びましたが、東京ドーム15個分の広い敷地です。池や川もあり、あやめの季節は池の周りを綺麗に飾ります。明治神宮は初詣の参拝者数が日本一としても知られています。
 明治神宮の森は人工の森でありながら、自然に世代交代する森へと見事に生まれ変わりました。100年前に、そうなるように計画したからです。
f:id:hiroukamix:20200721071320j:plain この森を設計したのは本多静六博士です。博士は日本の公園の父と言われています。
 100年後の事を考えて、森を設計したと言われます。都会のど真ん中でありながら、絶滅危惧種を含めて3000種類の生物が生息しているそうです。凄い事です。
f:id:hiroukamix:20200721100437j:plain 当時の大隈重信首相からは、伊勢神宮や日光のような杉並木を望まれたそうですが、この地には合わないと、本多博士は断固として反対したそうです。「藪」にするのかと、批判されたそうです。杉の木が沢山植えられていたら、花粉症に拍車をかけていたでしょう。
 本多博士は、北海道から九州まで全国数百の公園の設計や改良に携わっています。私が行った事のある場所だけでも明治神宮日比谷公園日光東照宮、水戸の偕楽園、前橋の敷島公園、埼玉の大宮公園羊山公園、伊佐沼公園、長野の臥竜公園懐古園甲府舞鶴城公園など数え切れないほどあります。

続く

③令和に込められた意味

今週のお題「2020年上半期」 
f:id:hiroukamix:20200720064717j:plain 今年の正月は令和を迎えて初めての正月でした。令和という年号に、私は特別な意味を感じます。
「令」という漢字は、「高貴な人が神意に耳を傾ける」という意味があります。そこから「令嬢」とか「令夫人」という言葉が生まれました。また、神意に従うことから「命令」の「令」に使われるようになりました。
「和」は文字通り「一つに和すること」であり、「平和」の「和」です。
「令」は神と人との関係なので縦的です。「和」は人と人との関係なので横的です。世の中は皆縦糸と横糸が合わさって、織りなされています。美しい生地ほど、縦糸と横糸が絶妙に織り合わされています。
 現代社会の様々な問題や個人の不安や悩みは全て、この縦糸と横糸の喪失、或いは縦糸と横糸の不具合から来ている気がします。
 縦糸とは縦的秩序であり、神と人、天と地、親子、師弟、会社の上下関係、また先祖から子孫への歴史の流れです。
 横糸は、夫婦、兄弟姉妹、友だち、同僚、近所付き合い、国と国の関係です。
 あちこちで縦糸も横糸も、どちらもギクシャクしています。これが新型コロナウィルスを初めとした現代病の根底に潜む問題ではないでしょうか?その結果、心の拠り所を失って、不安や心配、不和や摩擦が生じているのだと思います。
 令和に生きる私たちは、立ち止まって、深く自分の周りの縦糸と横糸を見つめ直すことが大切だと思います。そして、縦と横の拠り所を取り戻すことによって、本当の安心や平和を手に入れることができるのではないでしょうか?

②東京オリンピック

今週のお題「2020年上半期」
f:id:hiroukamix:20200719060658j:plain 2020年はオリンピックイヤーになるはずでした。本来は今月から始まる予定でした。誰一人、2020年に東京オリンピックが開催されないとは予想しなかったと思います。
 一番落胆したのは、参加するはずだった選手たちだと思います。開催時期に合わせて、コンディションが絶好調になるように準備していたはずです。時期がずれる事によって、微妙に体調に影響が出るかもしれません。人によっては、年齢や体力的な理由から、参加を断念する人も出てくるかもしれません。長い時間をかけて準備した人ほど、恨めしい思いが積もると思います。
 またオリンピック関係の施設や商売も大打撃を受けていると思います。オリンピックを見込んで投資したり、事業拡大をした場合は、大きな損害を受けたのではないでしょうか。
 日本中が熱気に包まれて、華々しい活躍が見られ、胸躍る年になるはずでしたが、とても残念の一言です。
 1年延期されたものの、東京はどんどん感染者が増えています。せめて来年開催できると良いですが、ただ祈るばかりです。

①新型コロナウィルス

今週のお題「2020年上半期」
f:id:hiroukamix:20200718061737j:plain 2020年上半期を振り返ると、何と言っても新型コロナウィルスの出現が一番の衝撃でした。令和を迎えて初めての正月でしたが、平成、昭和を越えて、江戸時代まで逆戻りしたような気持ちです。
 今までの常識が通用しなくなりました。時代の迷子が大勢生まれているような気がします。前に進む事ができない、後ろに戻る事もできない、立ち往生してしまう人が多いと思います。
 しかし、危機を機会として捉え、前向きに進もうとする人たちも少なからずいます。そちらの方が多いかもしれません。
 オンラインでの会議やオンライン授業、在宅ワークなどネット関係の取り組みは、逆に未来を先取りしたと言われます。
 アメリカで一番学力の高い大学が、校舎のない、全てオンライン授業の大学である事を考えると、そのような分野では意味があるように思います。
 人間関係の基本は直接的な触れ合いや絆だと思います。その意味ではソーシャル・ディスタンスを考慮しなければならない現実はあまり良い事とは言えません。
 新しい生活様式と言いますが、一時的な生活様式であって欲しいです。これがずっと続いて欲しくありません。
 早くワクチンができて欲しいと思います。

桃とブルーベリー狩り

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 昨日は桃狩りとブルーベリー狩りに行きました。まだ梅雨の時期ですが、薄曇りで途中から太陽も顔を出しました。
 桃園もブルーベリー畑も他の客はいなかったので、3蜜を気にしないで、のびのびと楽しむ事ができました。
 私は桃の産地の山梨に生まれながら、桃狩りは初めてでした。
f:id:hiroukamix:20200717054042j:plain 桃園には沢山の桃の木があり、ピンク色に色付いた桃がたわわになっていました。
 一人づつ、ナイフと皮を入れるバケツを渡され、説明を受けました。そして少しでも熟していそうな桃を探しました。赤くて甘そうな桃を選んで取りましたが、思ったより甘くありませんでした。スーパーの桃は取ってから追熟するようですが、直接木からもいだ桃は熟していないので甘さが足らないのだと思います。それでも5つ、かぶりついて食べました。とてもジューシーでした。
 続けてブルーベリーの畑に移動しました。以前ベランダでブルーベリーを栽培していましたが、あまり収穫ができないまま、枯れてしまいました。ブルーベリーのもぎ取りはそれ以来です。
f:id:hiroukamix:20200717054211j:plain 広い畑に数百本のブルーベリーの木がありました。大粒や小粒の色々な種類のブルーベリーがありました。濃い紫色の実だけ選んで食べましたが、甘い物、酸っぱい物、味も様々です。次々と沢山の実を頬張りました。桃とブルーベリーでお腹がいっぱいになり、至福の時間を過ごしました。