偉人の母⑤福沢諭吉の母於順

f:id:hiroukamix:20200606072417j:plain 福沢諭吉の母於順は32才で未亡人となり5人の子供を一人で育てました。夫は44才で亡くなりました。諭吉が2才、一番上の長男が10才の時でした。
 於順は5人の子供を連れて、故郷の大分県中津に戻りました。住んだのは倒壊寸前の廃屋でした。貧乏のどん底からの暮らしは並大抵ではなかったに違いありません。
 於順は士族の出でありながら、身分の上下なく、誰とも交わったようです。時には、女乞食に飯を振る舞ったり、髪の虱を取って上げたりもしたそうです。諭吉の「天は人の上に人を造らず・・・」の言葉は、母の後ろ姿の教えでしょうか。
 於順には諭吉の他に長男と三人の娘がいましたが、娘達は嫁ぎ、長男は31才で亡くなってしまいました。長男の嫁は実家に戻り再婚し、残された2才の孫娘を育てる事になりました。
 大阪で蘭学を学んでいた諭吉が一旦母の元に戻ったものの、大きな志を持っていた諭吉は母にその胸の内を打ち明けました。すると、心細いはずの母ではありましたが、諭吉の志を後押ししました。若い時に夫に先立たれ、今度は長男に先立たれて、頼りたいはずの諭吉とも別れ別れになってしまいました。於順は自分の事よりも息子の将来を考えました。いつの世も、母の愛は涙ぐましく感謝に堪えません。
 14年ほど別れて暮らした後、孫娘が嫁つぐ事になり、ようやく諭吉は年老いた母を迎えました。その4年後に於順はこの世を去っています。
 男尊女卑が普通だった世の中で、諭吉は男女平等を説きました。母の影響が大きかったに違いありません。