野口英世の母シカの生まれた家は貧乏で、7才の頃から子守や女中の奉公をしていました。学校に行けませんでしたが、何とか字を覚えたいと思い、人に頼んでいろはの手本を書いて貰い、皆が寝てから盆に囲炉裏の灰を敷いて、月の光を頼りに指で書いて覚えたといいます。このような母の向上心を、英世は受け継いだに違いありません。
シカは婿を迎えましたが、夫は仕事もしないで昼間から酒を飲んで道端で寝てしまうような人でした。シカは夫の分まで働かざるを得ず、朝早くから猪苗代湖でシジミ取りをしました。昼間は20キロもある重い荷物を背負って担ぎ屋をしたといいます。しかし、シカがせっかく貯めたお金を夫は見つけ出しては酒代にしてしまったそうです。
英世が火傷をしてからは、シカは30キロも離れた村はずれにある観音様によく英世をおぶって祈りに行きました。母の精誠と信心があって初めて英世の成功があったのだと思います。
英世は苦労の末に医者となり、更にアメリカに渡って勉強しました。渡米して10年以上経ってから、シカは遠く離れて暮らす英世に平仮名だけで手紙を書きました。息子に会いたい思いを込めた涙なくして読めないものです。
世界に誇るべき立派な医者となり16年振りに帰国した英世は、どこに行くにも母を連れて親孝行をしました。
シカは英世と過ごした時の写真を見ては喜んでいましたが、スペイン風邪にかかり66才でこの世を去りました。
母の存在なくして英世はなかったに違いありません 。