今週のお題「紅葉」
もう二十年以上前だが、旅行で北朝鮮に二度行ったことがある。平壌(ピョンヤン)の街中から地方の村や名山にも行った。
サーカスや舞踊、歌などとても趣向を凝らしているものを色々見た。
小学生の歌を聴いたが、プロ顔負けの声に魅了された。舞踊も日本では見たこともない、マジックのような不思議な踊りだった。大勢の踊り子たちの服の色が、何度も何度も一瞬で変わってしまうのだ。次から次へと出てくる出し物が真新しいものだった。
バスの車窓から見た景色も印象に残っている。全体的に山も平地も動物も土色が多かった。
山は木が少なく、岩や土が露出したところが目立った。
田畑で土を耕していたのは耕運機ではなく、茶色い牛だった。のどかな風景だった。
木炭自動車というのを初めて見た。蒸気機関車のように白い煙を吐きながら道路を走る姿が不思議だった。
子供たちが列を組んで細い道を学校に行く姿は懐かしかった。自分の子供時代の田舎を思い出した。
土産店で買った青磁の湯呑み茶碗やコーヒーカップ、鳥や花の刺繍、水墨画はとても気に入った。どれも一流の品物に見えた。見ていて飽きないのだ。できばえも良いが、値段も手頃だった。
移動の途中にバスが休憩所で止まった。すると大勢の人たちが広場で踊りを踊っていた。もうすぐ何か行事があるようで、その練習をしているという。皆それぞれが思い思いの踊りをしていた。楽しそうなので、私たちもその中に入って一緒に踊った。
以前、同じ朝鮮の方の踊りを見たことがあった。太鼓を叩きながら、二人の女性が踊っていた。それぞれが思い思いに自由に踊っているように見えた。二人の共通の動作もなければ、同じ動作を繰り返すこともなかった。全く自然に感じた。それでいて二人の中に絶妙な調和と一体感があった。見事というしかなかった。瞬きもせず、食い入るようにして見ていた。この民族には踊りの天性があるように思う。
檀君(タングン)陵というところに行った。ここは、紀元前二千三百年以上前に朝鮮を建国したとされる初代の王様檀君の陵である。
埼玉県日高市に聖天院というお寺がある。高句麗からの渡来人で、高麗郡を束ねた高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)のお墓がある寺だ。
山門をくぐって階段を登ると本堂があり、その左手の少し高いところに檀君の像がある。更にその左手を奥に行くと、韓国の忠臣や良妻賢母の鑑といわれる申師任堂(シンサイムダン)の像がある。その左手には慰霊碑や記念塔があり、その左手の細い道を登って行くと再び檀君像がある。檀君は日本で言えば、神武天皇と同じ立場だ。
北朝鮮の檀君陵は、山の中に、ひときわ映える純白の大理石で造られていた。長い階段があり、見上げると白いピラミッドのような大きな陵だった。石の切り口が新しく真っ白で、まだ完成して間もないように見えた。
国の威信をかけて造ったような立派な陵だった。
とても楽しみにしていた金剛山(クムガンサン)にも行った。朝鮮半島で白頭山(ペクトゥサン)と並ぶ名山である。金剛石とは、ダイヤモンドという意味だという。従って、金剛山はダイヤモンドの山だ。見る角度によって千変万化するという。平壌(ピョンヤン)から幾つも山を越えて、バスで数時間揺られて行った。ホテルに着いた時、すでに辺りは真っ暗になっていた。残念ながら、その日は金剛山の神々しい景色を見ることはできなかった。
しかし、その晩に思いがけず、それ以上の素晴らしい景色に出会った。それは、ホテルに着いて、バスから降りて、皆が部屋に入り一斉に電気をつけた直後のことだった。
突然、電気が消えた。停電である。人里離れた山の中なので、辺りには民家も街頭もなく、真っ暗になった。電力の少ない国であり、普段こんなに大勢の客を泊めたことがなかったのだろう。ホテルのあちこちで大きな溜め息のような声が上がった。
すると、突然誰かが叫んだ。
「窓を開けて、空を見て!」
何だろうと思って、窓の外を見上げた。何ということだろう。そこに見えたのは、満天の星だった。澄み渡った空にダイヤモンドのような無数の星が、空一杯にキラキラと輝いていた。金剛山は山だけではなく、空もダイヤモンドだった。天の川もはっきり見えた。この世のものとは思えない美しさだった。
学生の時、富士山頂で見た星空と同じだった。一度見たら一生忘れられない鮮やかな星空だった。
皮肉にも、この国の寂しい電力事情のお陰で、予期せぬ素晴らしいプレゼントを頂いた。こんなに美しい星空は、生涯に何度も見られる訳ではない。とても運が良かった。
翌日は待ちに待った金剛山に登った。そこには山と川が織り成す絶景があった。丁度紅葉が最高潮に達した時期だったので、絢爛豪華な絵巻を見ているようだった。川沿いに道があり、美しい景色を堪能しながら上流に向かって歩いて行った。川の水は透き通るようなエメラルドグリーンだった。岩肌は雄大で、風格を漂わせていた。息を呑むような素晴らしさで、決して期待を裏切らなかった。
仙人や天女が出て来そうな幻想的な雰囲気があった。岩のあちこちに優雅な形をした松の木が生えていた。どちらを向いても墨絵のような、深い味わいの景色だった。
山が大好きで色々な山に登ったが、流石に金剛山は横綱級に間違いなかった。畏敬の念を感じた。九龍の滝は圧巻だった。正に龍が天に昇っていくような気迫と勢いを感じた。最高の思い出となった。
ところで、昼食を食べた食堂で松茸を売っていた。日本円で五百円くらいだった。注文すると、何と大きなザル一杯に盛られてきた。余りにも多いのには驚いた。数人で食べても満足するほど食べることができた。金剛山は至るところに松の木があるので、松茸がたくさん生えているに違いなかった。しかし、旅行者が少なく、松茸を食べに来る人がいないのだろう、と思った。
金剛山には二度登ったが、季節によって全く表情が違った。四季折々の趣きがあるようだ。