川越喜多院の菊まつり

f:id:hiroukamix:20200203064027j:plain 健康診断で川越の町に行った帰りに、喜多院に寄って、菊まつりを見て来た。様々な形に仕立てられた菊の花が並んでいた。毎年、その年に因んだ菊が登場するが、今年は五輪の形をした菊だった。なるほど、と思った。
 あとは、だいたい例年通りの作りだった。小菊の盆栽作り、懸崖作り、杉作り、岩付け・木付け盆栽、寄せ植え、五重塔の造形など、また大菊の一本仕立て、三本仕立て、千輪作りなどがあった。
 私が一番好きなのは盆栽作りだ。本来、数十年かけて松やもみじ、さつきなどの盆栽を作るが、菊はたったの一年で樹形を完成させ、しかも花を一斉に咲かさなければならない。数十年分の手間を一年で圧縮してかけるので、相当根気と愛情が必要だと思う。
 土の表面が苔で覆われた鉢などを見ていると、何十年も前に植えられた盆栽の木と見間違えてしまうくらいだ。私は苔が大好きなので、見ていて飽きない。
 日本人は、大きな自然を小さな鉢の中に再現したり、放っておけば普通に咲く花を自分の好みの形に変えたりと、不思議なことをするものだ。
 扇子もこうもり傘もトランジスタウォークマンも皆日本人の発明品だ。日本人は何でも小さく縮めてしまうのが上手な民族のようだ。
 ずーっと下ばかり見ていて気が付かなかったが、ふと目を上げると、お寺の周りの紅葉はまだようやく色づき始めたばかりだ。
 大きな本物の自然は、人間の手で簡単には変えられない。しかし、小さな菊の花は自分で手を加えた分だけ思い通りの形になる。そこに喜びや満足感があるのかなと思った。
 人間の側から見ると確かに満足だが、菊たちは本当に嬉しいのかな、と少し疑問にも感じた。窮屈そうに人間が作った形の中に押し込まれているようでもあり、可哀想な気もした。
「もっと自由に伸び伸びと咲きたい。」
という菊の声が聞こえたのは空耳だったのだろうか?とは言っても、家のベランダにも小さな鉢の中に植えられた植物たちが所狭しと並んでいる。植物たちの本当の声を聞いてみたいものだ。