不安と恐怖から希望と喜びに

f:id:hiroukamix:20191122053617j:plain今週のお題「〇〇の成長」

 私は子供の時からいつも何かに怯えていた。心の中は不安と恐怖でいっぱいだった。その重みに耐え切れず、潰されてしまうのではないかと思った。だからいつも現実から逃げ出すことばかりを考えていた。
 小学校一年生の頃から、生きることが苦痛だと感じていた。シャボン玉のように、一瞬の内に消えてなくなってしまったら、どれほど楽になるだろうかと他愛もないことを思った。
 太宰治の「人間失格」という本のタイトルを初めて見た時に、ドキッとした。とても恐ろしかった。絶対に自分のことが書いてある、と思ったからだ。触れることも、近づくこともできなかった。
「あなたは人間失格だ。」と、自分自身が周りの人々から言われているような気がした。
「捨てる神あれば、拾う神あり」というが、私の人生は捨てられたり、拾われたりの繰り返しである。捨てられた時は、地獄の底に突き落とされたような気分になって落ち込んだ。拾われた時は、天にも昇るような気持ちになって喜んだ。一喜一憂の連続だった。
 しかし、本当は捨てられたことなど一度もなかったのかもしれない。捨てられた、と思っただけで、実は自分の人生にとって必要なプロセスであったのかもしれない。
 神などという存在は全く信じていなかった。何故なら、もし神がいたら、こんな自分のような出来損ないの人間を造るはずがない、と思ったからだ。私という存在そのものが、神がいない証拠なのだ、と確信していた。だから、万が一神がいるとしたら、
「何故、私のような失敗作を造ったんだ?」
 と言って、絶対に抗議してやる、恨んでやると思った。
 しかし、よくよく考えてみたら、赤ちゃんがいきなり立ったり歩いたりできないように、自分も躓いたり失敗しながら、段々と成長してきた過程だったのかもしれない、と思う。
 完成品のガンダムではなく、プラモデルのガンダムのようなものだ。自分で部品を組み立てながら、一つ一つ作っていく。そこには、作る楽しみや喜びがある。最初から完成していたら、絶対に面白くない。
 ただ、自分という作品には設計図がないので、何度も何度も作り方を間違えてしまう。部品も自分で調達しなければならないので、中々見つからないことも多い。それで彷徨ったり、行き詰まってしまう。見つからない部品を、自分で一から作らないといけない時もある。とても面倒で苦労する。しかし、考え方によっては、それも結構楽しいことかもしれない。創意工夫や様々なアイデアが引き出されてくるからだ。
 生きることは喜びだ。人生七転び八起きだ。確かに捨てる神もいるかもしれないが、ちゃんと拾う神もいる。
 色々苦労や失敗の多い人生だけど、苦労した分だけ気づきや喜びがある。失敗した分だけ教訓や成功もある。
 また人生には掛けがえのない出会いや思いがけない出会いがある。出会いは喜びであり、人生を豊かにしてくれる。出会いによって希望の道が開かれる。
 そして、人生には必ず感動がある。感動は魂を鼓舞してくれる。感動を通して生きる意味を教え、生きる力を与えてくれる。