新人研修で訪問販売をしていた時だった。カバンに商品を一杯詰めて、任地に向かった。何を販売したかは覚えていないが、いやにカバンが重たかったような気がする。
その日は山の奥で車を降りて、田舎の一本道を歩いて下って来た。道の途中、途中に点々と村があった。
どの村も人がまばらだった。一軒一軒が離れていて、ようやく次の家に着いたと思ったら留守だった。
人がいても老人ばかりで、
「若い者がいなくて分からない。」
と言われた。そんな繰り返しで、夕方の五時頃まで、一つも売れなかった。
商品が売れると、カバンが段々軽くなって、足取りも軽くなる。売れないと、カバンの中身が減らず、ズッシリと重く、心も重たかった。お腹は減るし、辺りは少しずつ暗くなり心細くなってきた。
こんな時は拾う神にお願いするしかなかった。
「足はクタクタで、お腹はペコペコ。実績はなし。どうしたら良いですか?拾う神様、教えて下さい!」
すると、ふと拾う神らしき声が聞こえた。
「この村で、一番不幸な人を探して愛しなさい。」
そんな難しいことを言われても困る、と思いながらも、ある一軒の家のインターフォンを押した。
すると、七十前後の顔が貧相で頭がボサボサの男性(Nさん)がしわくちゃの寝間着姿で出てきた。こちらが何をする為に来たかを言おうとしたら、そんなことにはお構いなく、自分がいかに不幸な人間かをとうとうと話し出した。
病気になって、大学病院に入院したが、原因が分からない。まるで実験台のように、毎日入れ代わり立ち代わり、医学生が見に来る。皆一応は診察するが、何の説明もなく去って行く。まるで自分は見せ物にされている気分だったと言うのだ。
仕舞いに病院から家に、葬式の準備をするように伝えられたそうだ。しかし、死なないし、原因不明で何の治療もできないので、結局は家に帰されたそうだ。
生きて家に帰って来たので、家族が皆喜んで迎えてくれるかと思ったら、
「せっかく葬式の準備をしたのに、何故生きて帰って来た?」
と、家族に冷たく言われ、毎日家にいても、自分の居場所がない、と言う。
「病気で死んでしまったほうが良かった。」
と、最後に言っていた。
人間はどんなに裕福でお金があったとしても、たとえどんなに健康で長生きをしたとしても幸せにはなれない、と思った。
帰って心が休まる家がある、自分を待ってくれている人がいる、というのが幸せではないかと思う。
この方には家があるのに、そこに居場所はなく、家の中は針のむしろだった。
難病に負けずに、生き延びた故に、生きる苦しみを味わう羽目になった。
二時間ほど、一方的に一気に喋りまくると、
「ところで、今日は何をしに来た?」
と、ようやく私が何者かを尋ねてきた。重いカバンの中から、幾つかの商品を出して、
「会社の新人研修で、この品物を売っています。」
と見せると、
「じぁあ、全部置いて行け。幾らだ?」
と聞いてきた。
結局、その一軒でその日は全部売れてしまった。多分あの人が、その村で一番不幸な人間だったのだと思う。販売の秘訣は、いかにして売ろうかと考えるのではなく、相手の幸せや喜びを動機に歩むことだと思った。
捨てる神あれば、拾う神あり、である。