自然流と作られた自然

f:id:hiroukamix:20201125054001j:plain 毎年、家のそばの畑の周りに菊の花が咲きます。菊は宿根草なので、枯れても根が残り、毎年同じ所に同じ花が咲きます。黄色やピンク、白、紫、赤、橙、色とりどりの菊が咲いています。大きさも様々です。自由気ままに咲いているように見えます。名付けて自然流です。
 毎年喜多院というお寺の境内で菊祭りがあり、行っていました。今年はコロナのせいか、なかったようです。
f:id:hiroukamix:20201125055119j:plain 菊祭りの時は、小菊の盆栽作り、懸崖作り、杉作り、寄せ植え、五重塔や富士山の造形など、また大菊の一本仕立て、三本仕立て、千輪作りなどがあります。楽しみにしていましたが、残念でした。
 私が一番好きなのは盆栽作りです。本来、数十年かけて松やもみじ、さつきなどの盆栽を作りますが、菊はたったの一年で樹形を完成させ、しかも花を一斉に咲かさなければなりません。数十年分の手間を一年で圧縮してかけるので、相当根気と愛情が必要だと思います。
 土の表面が苔で覆われた鉢などを見ていると、何十年も前に植えられた盆栽の木と見間違えてしまうくらいです。私は苔が大好きなので、見ていて飽きません。
 日本人は、大きな自然を小さな鉢の中に再現したり、放っておけば普通に咲く花を自分の好みの形に変えたりと、不思議なことをするものです。
 大きな本物の自然は、人間の手で簡単には変えられません。しかし、小さな菊の花は自分で手を加えた分だけ思い通りの形になります。極端に言えば、自然を自分の手のひらに乗せているような気分ではないでしょうか。そこに喜びや満足感があるのかなと思います。
 畑の自然流も手のひらの上の自然も、どちらにも味わいがあります。