神様の愛「革靴」

今週のお題「買ってよかった2022」

 今年の買い物で、一番のお買い得は革靴です。実は、新しい職場の上履きを買いに行ったのですが、革靴を買って帰ってきました。
 何年も履く予定ではないので、千円くらいの上履きを買おうと思いました。しかし靴屋に行くと、五千円以上もするような洒落た革靴が、最後の一足という札が付いて、千円で売っていたのです。
 茶色くて、飾りがありました。色とデザインが少し気に入らなかったのですが、多分それが売れ残っていた理由かなと思いました。
 上履きにはならないし、二足買うだけの手持ちはないし、どうしようかと迷いました。しかし同じ千円を出すのなら、革靴のほうが絶対価値があると思いました。
 そこで、得意のリフォームをすることを念頭において、革靴を買いました。その代わり、通勤用にしようと思っていた家にある運動靴を綺麗に洗って、上履きにしようと考えました。そして、その革靴を通勤用の靴にしました。すなわち、上履きと通勤用の靴が入れ替わってしまいました。
 家に持ち帰り、まず黒い靴墨を塗り、色を変えてしまいました。飾りもすべて取り除きました。元の姿からは想像できないシンプルな靴に変身しました。作った靴職人には叱られそうです。
 今、毎日その革靴で通勤しています。半年以上がたち、だいぶ足になじんできました。とても気に入っています。今年最高の買い物です。この靴を作ってくれた職人と、売ってくれた店と、この靴に出会わせてくださった神様に感謝します。

神様の愛「水琴窟」


 昨日、博物館に行って来ました。受付を過ぎて右に曲がると、すぐ中庭があります。苔が綺麗に生えていて、ツワブキ山茶花の花が咲いていました。

 中庭のまんなかに水琴窟があります。博物館に来ると、決まってまずこの水琴窟のところに行きます。
 ひしゃくで石の鉢から水をくんで、砂利石の上に水をかけます。耳を澄まして待っていると、少し遠いところから
「キーン、キーン」
 と心地よい響きが聞こえてきます。目をつぶって聞くと、自分が洞窟の中にいて、天井から落ちる水滴が池に落ちて、反響しているように聞こえます。心に染み入るような音色です。この世の喧騒から離れて、どこか遠くの空間にいるような気分にもなります。
 三度もひしゃくに水をくみ、砂利石にかけては、一滴、一滴と水滴が落ちて響く音色を楽しみました。時がたつのも忘れてしまいそうな心境でした。
 水琴窟は、地中に大きな水瓶が埋まっています。砂利石に水をまくと、その下にある水瓶に水滴が落ちて音が響くようにつくられています。音が琴に似ているので、水琴窟という名前がついたようです。
 このような趣向は、日本文化の「わび」や「さび」の世界に通ずるのではないかと思います。
 水琴窟を発明したかたと、水琴窟に出会わせてくださった神様に感謝します。

神様の愛「りんご」

今週のお題「買ってよかった2022」

 丸かじりにちょうどいい大きさのりんごがあったので、買ってきました。「ふじ」という品種でした。私は皮がついたまま、りんごを丸かじりするのが好きです。最初の一口は期待と不安があります。りんごによって味に差があるからです。
 一口かじると、果汁が口の中全体に広がりました。飛びっきり美味しいという訳ではありませんでしたが、酸味と甘味があり、まあまあ美味しいりんごでした。
 りんごというと、「奇跡のりんご」を思い出します。本や映画にもなりました。青森の木村秋則さんが、無農薬、無肥料で前人未到の挑戦をして、涙ぐましい努力の末に栽培に成功したりんごです。
「奇跡のりんご」をとおして神様の愛を感じます。まず木村さんが無農薬、無肥料でりんごを栽培しようとした理由です。農薬を散布するたびに奥さんが何日も寝込みます。農薬が体に良くないことを知り、奥さんを愛するゆえに栽培を始めたのが動機です。神様が応援せざるをえない動機です。
 あらゆる努力をしましたが、農薬を散布しないので、りんごの木が半分以上枯れてしまいます。りんごが一つも実らないので、無収入となり、家族は貧乏のどん底に追いやられます。思いつめた木村さんは自殺しようとロープを持って山に入ります。そこで、自然の木が無農薬、無肥料で立派に実を成らせているのを見て、大切な気づきをします。これは人事を尽くした人への神様の啓示だと思います。
 最後はりんごの木一本一本に「お願いだから枯れないでくれ」と祈りました。しかし、祈らなかった木はすべて枯れてしまったそうです。祈りに神様が働く証しです。
 このりんごは常温に2年おいても腐らないといいます。かえって甘酸っぱい香りを漂わせているそうです。まさに奇跡のりんごです。一度食べてみたいと思います。

神様の愛「落ち葉」


 腐葉土をつくろうと思い、落ち葉拾いをしました。敷地の周りにモミジや桜、ハナミズキなどの落ち葉がたくさん落ちていました。前の日に強い風が吹いたので、吹きだまりに集まっていました。
 カサカサと心地よい音を立てながらかき集めると、宝物を集めているようです。
 ときどきモミジの葉の中に、芸術作品のような綺麗な葉を見つけると、嬉しくなります。手を止めて、つい見入ってしまいます。美しい花はたくさんありますが、葉も負けずと劣らず美しいです。葉一枚一枚に神様の創造の美が込められているような気がします。
 大きなビニール袋いっぱいになりました。それを圧縮すると半分くらいになります。さらに落ち葉を集めて圧縮してを繰り返したら、ビニール袋がだいぶ重たくなりました。
 通り過ぎる人が何人か
「ご苦労様です」
 と声をかけてくれました。こちらは、ただ腐葉土をつくりたいだけでしたので、恐縮しました。結果的には環境美化にも役立ったのかなと思います。
 落ち葉を家に持ち帰り、ベランダに準備しておいた大きなダンボールに土と落ち葉を四回ほど交互に入れて、圧縮しました。
 実は、この腐葉土を使って、来年サツマイモを育てる予定です。落ち葉が腐葉土となり、その中からサツマイモがたくさんできることを思うと、今からワクワクします。
 落ち葉をたくさんくれたモミジや桜、ハナミズキなどの木々と、それらを創造してくださった神様に感謝します。

神様の愛「イルミネーション」


 いよいよ12月になりました。クリスマスが近づくと、あちこちの木などにイルミネーションが点灯します。とても明るく楽しい気分になります。
 光にちなんだ話をいくつか思い出しました。
 日本に三重苦のヘレン・ケラーが来たときに、記者会見がありました。ある記者がヘレン・ケラーに質問をしました。
「あなたの信ずる神様が、たった一つ願いを叶えてくれるとしたら何を願いますか?」
 質問した記者は「目」か「耳」か何を願うだろうかと思ったそうです。
 するとヘレン・ケラーは答えました。
「私の神様が一つだけ願いを叶えてくれるとしたら平和を、世界に平和を願います」
 さらに、ヘレン・ケラーは、ひとことつけ加えました。
「あなたのかかげているともしびを、もう少し高くかかげてください。そうしたら、もう少し遠くまで明るく照らします」
 この言葉は聖書の中の
「あなたがたは地の塩、世の光である」
 というイエスの言葉を引用したものです。
 仏教にも「一隅を照らす」という言葉があります。天台宗の開祖、最澄上人の言葉です。
「ひとりひとりが自分が今いる場所で、自らが光となり、周りを照らしていくことが、私たち本来の役割です。それが集まることで世の中がつくられます」
 という意味があるそうです。
「貧者の一灯」という話もあります。金持ちが大金の布施をして灯した大きなともしびは風で消えてしまったのに、貧者のわずかな布施のともしびは最後まで消えなかったといいます。形よりも真心が大切という教訓があるようです。
 光は暗闇を照らします。光は希望であり、愛情です。華やかなイルミネーションを見ながら、たとえ小さくても光を照らす者になりたいと思いました。

神様の愛「鉢植えのみかん」


 何年かぶりにベランダのみかんの木に実が成りました。食べたみかんから取った種を植えて、接ぎ木したものです。
 最初の何年かは美味しい実をつけていましたが、しばらく花は咲いても実は成りませんでした。
 去年土を入れ替えたのが良かったのか、三つだけですが実が成長しました。嬉しい限りです。とても大きな実に成長しました。
 だいぶ黄色くなってきました。今朝一つ試しに取って食べてみました。とてもみずみずしかったのですが、酸味が強く、甘さは今ひとつでした。まだ少し早かったのか、あと二つはもう少したってから取ろうと思います。
 このみかんの木の葉っぱを青いイモムシが毎年食べに来ました。最初は悪いイモムシだと思って、外の大きな木に移していました。
 ある時から、毎年綺麗なアゲハチョウがベランダに来るようになりました。そして、何時間もベランダの上を舞ったり、みかんの木に止まったりします。
 きっと、あのイモムシが里帰りして来たんだと思います。
 みかんの木をとおして、神様の愛を感じました。

神様の愛「甘酒」


 毎日、朝晩甘酒を飲みます。もう何年も続いています。米と麹から妻が作ってくれます。健康のためです。
 甘酒は飲む点滴といわれています。実際この習慣が始まってから、風邪もひきません。
 朝食で毎日味噌汁を飲み、納豆を食べます。ですから毎日最低三つの発酵食品を取っています。キムチやチーズもほぼ毎日食べています。発酵食品の恩恵を受けているのを感じます。
 子供の頃は甘酒というと、酒粕から作ったものがほとんどでした。それはそれで美味しかったのですが、酒粕の甘酒には必ず砂糖が入っていました。健康を考えると、麹の甘酒が良いと思います。それにしても砂糖を入れないのに、とても甘いのは驚きです。
 以前レストランで食事をしたときに、古代米と麹で作った甘酒が出てきました。これも美味しくて上品な味がしました。甘酒にもいろいろあるのだと思いました。
 家でも白米ではなく、玄米の甘酒を作ってみました。今までよりも味が濃くなりました。
 甘酒のお陰で、朝食と夕食がとても楽しみです。もちろん昼食も別の意味で楽しみです。
 甘酒を作ってくれる妻と、発酵や甘酒の恵みをくださった神様に感謝します。