ラスベガスでカジノ

今週のお題「下書き供養」
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 今日も下書き供養の一話を出します。

 ラスベガスに2度行った話を以前書きました。ラスベガスと言えばカジノです。土産話にカジノを一度くらいはしてみなければと思いました。観光から戻ると毎晩カジノに通いました。全てのホテルの中に必ずカジノがあります。ブラックジャックやルーレット、スロットマシンなどがありました。仲間と一緒にルーレットをしてみました。
 最初は当たったり、外れたりの繰り返しでした。何度かやっている内にコツが分かってきました。出た数が掲示板に表示されます。それをよく見ると、ルーレットの台によってクセがありました。クセを計算に入れて、直感を働かせていくと、かなりの確率で当たるようになりました。結局3日間で元の5倍以上になりました。その代わり、3日間の睡眠が合わせて1日分くらいでした。これでは体がもちません。窓もない部屋で、夢中になって時計も見ないでやっていると、あっという間に時間が経っていました。ここは長居をしてはいけないところだと思いました。
 ラスベガスに来て、少しのつもりが、深みにはまって、廃人のようになってしまった人も多いと聞きます。
 ゲーム感覚で楽しみ、賭け金の上限を決めて、なくなったらきっぱりやめるならいいですが、失ったお金を取り戻そうとしたり、一獲千金を狙うなら、絶対するべきではないと思います。

山にお花見

今週のお題「下書き供養」
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 こんな粋なテーマを頂けたのは幸いです。幾つか日の目を見なかった文章があるので、この機会に放出しようと思います。

 子供の時に、4月頃になると毎年花見をしました。花見と言っても、公園や川辺ではありませんでした。近くの山に山桜や山ツツジを見に行くことでした。
 天神山、兜岩、稚児落としという山が目の前にありました。岩の間や道の途中に山ツツジや山桜が咲いていました。
 しかし本当は、花見はどっちでも良かったのです。おにぎりやおやつを持って、近所の仲間たちとワイワイ騒ぎながら、楽しく山登りをするのが目的でした。山と川しかない田舎なので、山登りは大きな楽しみでした。
 山の上から見下ろす景色も格別でした。家々も車も村も全てが小さく見えました。自分が大きくなって、天下を取ったような気分を味わいました。いつも山に囲まれた狭い空間に閉じ込められていたので、開放感を味わいたかったのだと思います。
 実家はすぐ目の前が山なので、10時頃に日が上り、午後の2時頃には日が沈んでしまいます。冬に雪が降ると、中々溶けませんでした。
 山に登ると、遠くにも山が見えます。すると、その山の向こうも見たくなってしまいます。そうやって、あちこちの山に登りました。富士山にも勿論登りました。
 今は花見と言えば、公園や川の土手です。山の花見にまた行ってみたい気がします。

失敗ばかりの苔育て

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 素朴で花も咲かない苔ですが、癒やしを感じさせてくれます。苔むした庭や沢、山の土手などで苔を見ると嬉しくなります。
 最近、知人から大量の苔をもらいました。前々から私が苔を好きなのを知っていて、持って来てくれました。今まで苔玉を作ったり、鉢に植えたりしてきましたが、いつも枯らしてしまいます。
 毎日霧吹きをしたり、直射日光に当たらないように管理していますが、それでも枯れてしまいます。
 今度こそと、沢山ある鉢の木の根本に植えたり、透明な丸い容器に植えてみました。すると丸い容器の苔に数日後カビが生えてしまいました。水が多過ぎたのでしょうか。中々思い通りにいきません。
 木の根本に植えた苔も日に日に枯れていきます。毎日の霧吹きも全く効果がないようです。
 しかし、何故かだいぶ以前植えて、長い間枯れたように見えた苔が、何種類か少しずつ青く蘇ってきました。こちらは日に日に増えていきます。とても元気そうです。植えたばかりの苔は日に日に弱くなっていくのに、同じ鉢の古い苔はどんどん成長していきます。
 まだ良く苔が育つ仕組みが理解できません。試行錯誤しながら、今年は勉強のつもりで、苔に再度挑戦してみたいと思います。

#今年、学びたいこと

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命を蘇らせる春の訪れ

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 また桜の季節を迎えました。心が何となくうきうきします。虫も植物も動物も人間も全ての生き物が元気になります。
 1ヶ月余り、山奥の施設で暮らしたことがあります。目の前に湖があり、周りが山に囲まれた、自然が豊かで静かな所でした。もう20年以上前のことです。
 2月末から4月初めにかけてだったと思います。着いたばかりの時は、山の木々に葉はなく、枯れたように殺風景でした。湖も凍りついて寒々としていました。生き物は全く姿を見せませんでした。
 毎日、湖を見下ろす山の中腹まで、山道を往復しました。目の前の葉のない木々や凍りついた湖を見ていると、このままいつまでも、寒い冬が続くのではないかと思いました。元来寒がりやの私は少し不安になりました。
 ところが3月に入ると、湖の氷が割れて、解け出し、青い湖面が顔をのぞかせました。山の至る所に草の芽が吹き出してきました。4月になると、若葉が萌え、花が咲き出しました。木々の枝や石垣に、可愛いリスが出て来て愛嬌を振りまいていました。死んでいた大地が蘇ったようでした。その余りにも大きな変化に感動しました。
 春の訪れは、わずか1ヶ月余りで、山や湖に劇的な変化をもたらしました。そして、私の凍りついた心をも解かしてくれたように思いました。
 毎年、春が来るのは当たり前です。しかし私には、春が来ることはどんな不思議なマジックにも負けないほどの奇跡だと思います。

種から咲いた桃の花

今週のお題「〇〇からの卒業」
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 桃栗3年と言いますが、10年以上前に食べた桃の種を取り土に埋めてから、今年になって初めて花が咲きました。たった4輪ですが、とても感動しました。とても嬉しい春の訪れです。
 濃いピンク色をしていて、桜の花に似ています。花びらが少し縮んでいます。小筆の先に雄しべの花粉を付けて、雌しべの頭に付けてみました。実が成るかどうか分かりませんが、楽しみが一つ増えました。
 今まで食べた実から種を蒔いて、実がなったのは葡萄、みかん、苺、スイカ、メロン、トマトなどです。柿は花が咲きましたが、実は成りませんでした。未だに花が咲かないのはビワ、アボカドです。りんごの木は途中で枯れてしまいました。キュウイは2、3年で弦が長くなり過ぎて、ベランダがジャングルになり諦めました。
 去年食べたミニトマトの種を蒔き、今6つくらい双葉が出てきました。種からの卒業を迎えたような気がします。ミニトマトは、その年で一番美味しかった実の種を毎年蒔いています。多い年は1つのトマトから取った種で千個以上の実が成った事もあります。
 今、種から収穫を迎えた野菜は春菊、菜っ葉、リーフレタス、ニラなどです。毎日成長を見るのが楽しみです。収穫も嬉しいです。
 小さな種の中に、無限の可能性が込められています。まるで小宇宙です。誰があんなに小さな種の中に、たくさんの情報を書き込んだのか、不思議でたまりません。

脳はイメージと実際を区別できない

今週のお題「〇〇からの卒業」
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 先日近くの音大で卒業コンサートがあるとポスターが貼ってあったので、楽しみにしていました。いよいよ明日だと思い、前日確認の為に、ポスターを見ると、
「緊急事態宣言延期につき、一般の方はご遠慮下さい」
という小さな貼り紙が隅にありました。以前見た時は気がつかず、前日になってがっかりしました。
 やむを得ず、家で久し振りにクラシックのCDを出して聞く事にしました。少しボリュームを大きめにして目をつぶり、コンサートホールをイメージしながら聞きました。
 ふと前回コンサートに行った時に、退屈で居眠りした事を思い出しました。生の音楽を立派なホールに聞きに行っても居眠りしたら意味がありません。CDを聞いて感動した方が良いと思いました。
 ところで人間の脳はイメージと実際見たり、聞いたり、感じたりした事の区別が付かないと、いう話を聞いた事があります。例えば、レモンや梅干しをイメージすると唾液が出ます。悪夢を見て汗をかいたり、心臓がドキドキする事があります。
 どんなに綺麗な花を見ても、何も感じなければ、記憶に残らないかもしれません。以前はっきり記憶にあるのに、実際見たのか本で読んだだけなのか、話を聞いただけなのか、思い出せない事がありました。人間の脳はそのような面で曖昧なところがあります。
 負け惜しみではなく、その日はCDだけではなくYouTubeからも、様々な音楽を満足するまで楽しむ事ができました。

甘い思い出

今週のお題「花粉」
f:id:hiroukamix:20210310220947j:plain 私は花粉症には無縁です。今日は花粉と蜜蜂の話です。
 忙しい仕事の合間に、毎日飲む1杯のカフェラテが私の至福の時間です。たいてい飲むのは昼食の後です。
 大きなカップにミルクをたっぷりと入れて、スチームでミルクを泡立てながら温めます。コーヒー豆を挽いて、エスプレッソをその上に注ぎます。そのまま飲む場合が多いですが、時々蜂蜜を入れます。寒いせいか、蜂蜜の下の方が固まってしまいました。
 蜂蜜は蜂が花の受粉を助けたお返しに、花から貰ったものです。最近、一匹の蜜蜂が一生かけて集める蜂蜜は小さなスプーン一杯分だと聞きました。
 それを知ってから、今まで当たり前のように入れていた蜂蜜が、とても貴重なものに見えてきました。スプーン一杯に一匹の蜂の一生が入っていると思うと、大切に味わいながら感謝して飲むようになりました。毎回カフェラテを飲む度に、蜂の一生を思い浮かべます。
 ふと先日、カフェラテを作って蜂蜜を最後に混ぜるのではなく、蜂蜜そのものの味を味わってみたくなりました。そうしないと蜂に失礼ではないかと思ったのです。
 スプーンの先に少しだけ蜂蜜を乗せて、なめてみました。甘い香りが漂い、舌の上で広がる甘い味が、何故かとても懐かしく、遠い昔の記憶を蘇らせてくれました。
 子供の時に、台所の押し入れの中に大きな水飴の瓶がありました。滅多になめられなかったような気がします。たまに内緒でこっそりと、割り箸に水飴を巻いてなめました。その甘くて美味しかった味が忘れられません。
 水飴と蜂蜜では全然違いますが、甘い蜂蜜をなめて、何10年も前の甘い記憶を思い出しました。花粉と蜂に感謝して、今日も昼食後に蜂蜜を入れてカフェラテを味わいました。