2020年元旦

今週のお題「2020年の抱負」
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 新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

 駅前の歩道の工事が終わり、すっきりと綺麗になった。凸凹道だったのが、真新しいアスファルトに変わり、歩く度に気持ちが良い。まるで自分の服を新調した気分だ。
 新年を迎えて、同じように新たな気持ちになる。暦が変わるだけで、気が引き締まる。
 元旦を迎えた。今朝はお雑煮ではなく、お汁粉だった。わが家は毎年元旦の朝はお汁粉だ。
 お汁粉にはみかんが合う。暮れに箱で買ったので、毎日食べ放題で食べている。そう言えば、最近のみかんには種が入っていない。子供の頃に食べたみかんには必ず種が入っていた。
 十年くらい前に食べたみかんに種が入っていたので、鉢に埋めたら芽が出た。少し大きくなってから接ぎ木をしたら、数年後に花が咲き三つか四つ実がなった。とても味が濃くて美味しかった。数年は数個ずつ毎年実を付けたが、その後は花が咲いても、実が大きくなる前に花が全部落ちてしまう。去年も花は咲いたが、実が大きくならなかった。今年は土を入れ替えて、何とかもう一度実が大きくなるようにと思っている。
 今年はいよいよオリンピックが東京にやって来る。今のところ行く予定がない。テレビで見たら、東京でやっていても海外でやっているのと余り変わらなくなってしまう。そう考えたら、せっかく東京で行われるので、何か雰囲気を味わいたいものだ。
 今年の抱負は、まずこのブログを書き続けることが一つ。そして、二つ目は文学作品に応募すること、三つ目は本を一冊書き上げること。今からワクワクする。経過報告をおいおいと紹介していきたいと思う。

2019年大晦日

f:id:hiroukamix:20191231062359j:plain いよいよ今日は大晦日。しかし、昨日も今日も明日も、普通に太陽が昇り、普通に太陽は沈む。二十四時間の同じ一日だ。それなのに、大晦日も元旦も何故特別な日なのだろうか?
 それは、一つの節目を迎えたからに他ならない。節目があることは本当に良いことだと思う。
 一日、一週間、一ヶ月、一年、それぞれ区切りがある。人によっては、誕生日や結婚記念日も節目だ。そこで軌道修正をしたり、目標を立て直したり、反省をする。そのたびに成長をしていくような気がする。
 私の場合、反省する点は大きく分けると三つある。一つ目は、自分の心と体が健康で、理想や目標に向かって、ずれずに進んでいるか。
 二つ目は、家族や職場、周囲の人と愛や良き人間関係を築いているか、或いは築こうとしているか。
 三つ目は、自分が社会や自然などの環境に対して、何かお役に立つことをしているか。
 例えば三つ目で言うと、一昨日は、街の花壇の草取りをしたり花を植えた。毎年二回それぞれ三百鉢くらいの花を植える。頑張ってするのではなく、自分の好きなことで、何かお役に立つことがあれば良いと思う。
 区切りがないと、何の反省も気づきも悟りもないままに、ずるずると過ごしやすい。
 その意味で、一年の節目は特に重要だ。テレビを見たり、どこかに行くのも良いが、静かに自分の心を見つめる時間を持って、一年を省みたり、新しい一年の計画を練ることが大切だと思う。大掃除も、心の大掃除がまず必要な気がする。人生の価値は節目をどう過ごすかで決まる、と言っても過言ではないと思う。
 竹の節目や木の年輪があるから、竹も木も強くなる。年末年始を何となく過ごすのではなく、しっかりとした年輪を刻んで、しっかりとした節目にしていきたい、と私は考えている。

今年もあと二日

f:id:hiroukamix:20191230165002j:plain 今年もあと二日を残すのみとなった。この時期になると、あっという間に一年が過ぎた、と毎年感じる。
 この一年を振り返ると何があっただろうか?令和が始まったこと、台風の各地の被害、ブログを始めたこと、手術、甥の結婚式で京都に行ったこと、昇仙峡とぶどう狩り、初めての足利フラワーパーク、初めての梅干し作り、初めての干し柿作り、靴やシャツのリフォーム、などなど。
 手術は五回目だ。お腹、顔、頭など。何度しても嫌なものだ。しかし、指のトゲが抜けたようにすっきりした。交通事故も過去四回、骨折も手足合わせて六、七回している。全身傷だらけだ。これからは何もないことを願う。
 今年一番大きな出来事はブログを始めたことかもしれない。今日で百三十八回目。日記も三日坊主だった私がこんなに続くとは思わなかった。一人でも読んで下さる方がいるから続けられる。この場を借りて、感謝申し上げます。また「お題」が出ると、アイデアが浮かびやすい。
 明日までに、しっかりと一年を振り返るとともに、新しい年に向けて準備をしていこうと思う。
 これからも、新たな感動と出会いを求めて、いろんなことに挑戦していこうと思っている。

歩いて巡る京都の旅

f:id:hiroukamix:20191229062802j:plain 今年京都に行く機会があった。まず京都府立植物園に行った。ほとんど散ってしまった桜の中にまだ満開の桜があり、大勢の人々がその下に集まって名残惜しそうに写真を撮っていた。
 大きな温室の中は、目を見張る熱帯植物でいっぱいだった。見たこともない珍しい花やフルーツが実った木が生い茂っていた。ジャングルの中に迷い込んだかのような空間だった。
 森の中のような小道があった。小川も流れていた。心癒される場所だった。小道を出てしばらく行くと水車があった。のどかな景色だった。
 植物園から上賀茂神社に行く途中に、古い佇まいの軒並みに沿って清らかな小川が流れていた。全てを洗い清めてくれるような心地良い流れだった。
 折角京都に来たので、翌日新緑の清水寺に行った。仁王門をくぐって、西門を右に見て更に階段を上ると立派な三重塔が迎えてくれた。とても貫禄を感じた。本殿の大きな舞台は改装中だった。舞台から見える新緑の木々がまぶしかった。奥の院を通って進むと小高いところにまた三重塔があった。そこに寄って下に下りると、音羽の滝に出た。修学旅行の学生でいっぱいだったので素通りして進むと、清水の舞台の下に出た。高くそびえている。こんなところから飛び降りるのは勇気がいる。
 清水寺を後にして、土産店を覗きながら松原坂を下って、途中右に折れると八坂の塔があった。お寺の境内ではなく、ぽつんと街中に建っているのが不思議だった。坂道の下の方から見上げる五重塔が何とも絵になった。
 塔の斜め下に洒落た店があり、立ち寄ると、話が弾み、しばらく歓談を楽しんだ。庭から塔の方に抜けられると言われ、花々が綺麗な庭を通って、階段を上がり、塔の前に出た。最高のロケーションにある店だと感心した。
 先ほどの店の前を真っ直ぐ北に向かって歩いて行くと、祇園祭で有名な八坂神社にぶつかった。石の鳥居を通ると鮮やかな朱色の南楼門が迎えてくれた。その向こうには舞殿があった。本殿にお参りして、西楼門をくぐり祇園の通りに出た。道を渡って振り返ると、西楼門の鮮やかさが際立った。
八坂神社から西に向かって歩くと鴨川に出た。鴨川沿いの歩道を散策しながら駅にむかった。ゆったりとした流れを見ていると、この世の喧騒を忘れさせてくれる。子連れのお母さん、老夫婦、ジョギング中の若者、外国人旅行者、色々な人と行き交う。
 川の向こう岸を見ると、外のカフェのテーブルでコーヒーを飲んでいる姿が見える。のんびりとした時間が流れる。川の流れと共に、どこまでも歩いていきたい道だった。

https://www.tripadvisor.jp/Trips/95249269/%E4%BA%AC%E9%83%BD

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黒部ダムと称名滝

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 昔NHKプロジェクトXという番組があった。それで黒部ダム建設の秘話を放映していた。余りにも感動的ドラマだったので、どうしても黒部渓谷に行きたくなった。
 間もなくして、職場の同僚と五月の連休直後の平日に行く機会が与えられた。
 バスで長野方面から行って、富山に抜けて、新潟を回り帰って来るコースだった。
 初めバスから見えたのは、新緑の若葉が美しい春の景色だった。桜が散って、芝桜やハナミズキのピンクの花が咲いていた。
 標高が上がるに従って、段々と冬に逆戻りをしていった。そして山が深くなるにつれて、厳しい自然の中でダムを建設した大変さを思った。
 初めて見た黒部ダムは予想以上に大きく感じた。作業員延べ一千万人、殉職者百七十一人、工期七年で完成した。最初に殉職者慰霊碑に行って手を合わせた。「黒部に怪我はない。」この言葉は重い。ミスは即、死に繋がることを表現した言葉だ。人が入ることのない秘境でのダム建設がいかに過酷を極めたを、殉職者の名前を刻んだプレートを通して目の当たりにした。
 自然の前に人間は微々たる存在であると同時に、それでも偉大な仕事を成し遂げた証を黒部ダムは物語っている。
 麓は春真っ盛りであったのに、山の上のホテルに着くと周囲は雪がまだ残っていた。真冬の寒さだった。
 翌朝行った雪の大谷は、道の両側に二十メートル近くの雪の壁ができていた。圧巻だった。長岡で二メートルくらい雪が積もったのを見て驚いたが、その十倍の壁に圧倒された。雪で造られたグランドキャニオンのように見えた。
 山を下りると、再び春が戻って来た。落差三百五十メートルで日本一の称名滝は、激しい水しぶきを上げながら見事な勇姿を見せていた。この滝は、法然上人が滝の音を聞いて、「南無阿弥陀仏」の称名念仏に聞こえた、ということから名前が付いた、とガイドさんが教えてくれた。私には称名は聞こえないが、思わず手を合わせて、称名を唱えたくなるような有り難い絶景だった。
 私たちが行った時は見られなかったが、黒部ダムの放水ツアーがあるという。法然上人が黒部ダムの放水の音を聞いたら、やはり称名念仏に聞こえただろうかと、ふと思った。
https://www.tripadvisor.jp/Trips/95248406/%E9%BB%92%E9%83%A8%E3%83%80%E3%83%A0

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冬至とクリスマスと日本

f:id:hiroukamix:20191227054208j:plain クリスマスは最初、冬至を祝う祭りから始まったようだ。その祭りはイエスが生まれる遥か前からあったという。
 冬至は一年で一番昼が短い。冬至から段々と昼が長くなる。太陽が復活して、太陽の恵みが増していくことに感謝する祭りだったようだ。寒さはまだこれからが本番だが、日が長くなるというのは、とても希望を感じる。私も首を長くして、冬至を待っていた一人だ。
 太陽を特別な存在として崇めたり、感謝する風習は世界中にある。その中でも特に日本は太陽と縁の深い国だと思う。
 まず国名が「日本」、即ち「日の本の国」だ。国旗は「日の丸」であり、世界で一番太陽をストレートに象徴している国旗だ。皇室の先祖は「天照大神」であり、菊の紋章も元は太陽の光が照らすイメージを表現したという。聖徳太子は日本のことを「日出ずる国」と表現した。ちなみに中国のことを「日の沈む国」と言ってお叱りを受けた。
 また昔から日本では、男の子は「日子」即ち「彦」と呼ばれ、女の子は「日女」即ち「姫」と言われた。日本人は「太陽の子孫」という訳だ。
 その意味では、クリスマス以上に「冬至」や「太陽」をお祝いする祭りがあっても良いと思うが、余り聞かないのが不思議だ。
 祭りと言えば、来年はオリンピックの祭典がある。ギリシャオリンピアで太陽光から採火された炎が聖火となる。その大きな聖火が見守るところで競技をするのは、まるで太陽が見守っているようだ。
 生きとし、生けるもの、全てが太陽の恵みを受けている。これから毎日、昼が長くなっていく。誰の上にも等しく愛のように光を注ぐ太陽に感謝していきたい。
 ところで昨日は部分日食があった。残念ながら、仕事でずっと室内にいて、晴れていたのか曇っていたのか、見えたのか見えなかったのかも分からなかった。

我が家のサンタクロース

今週のお題「クリスマス」f:id:hiroukamix:20191226054318p:plain
 子供の頃に、クリスマスにプレゼントをもらった記憶がない。もらったのかもしれないが、覚えていない。
 先日書いたように、アイスで作ったデコレーションケーキが吉祥寺の伯母さんから毎年届いたので、それで十分満足だった。他に何か欲しいとも思わなかった。
 いざ自分が上げる側になってからは、毎年おもちゃ屋などに行って、プラモデルやゲームなどを買いに行った。一人、二人、三人と子供が増えるに従って選ぶのも一苦労だ。ゲームは大体家族皆で遊べる物を選んだ。プラモデルは、子供にとって少し難しいのを選んだ。
「お父さん、手伝って。」
 この一言を待っていた。結局、ゲームもプラモデルも自分も一緒に楽しんでいた。
 ある年に無線で飛ぶ小さなヘリコプターを買ったことがある。子供以上に自分が夢中になって遊んだ気がする。今もあるが、誰にも見向かれずタンスの隅っこに眠っている。
 最近は特に何もしなくなった。子供たちも成人して、サンタの出番はなくなった。
 それでも毎年クリスマスの晩は、特別な夕食やケーキが出る。今は家内がサンタクロースかもしれない。