黒部ダムと称名滝

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 昔NHKプロジェクトXという番組があった。それで黒部ダム建設の秘話を放映していた。余りにも感動的ドラマだったので、どうしても黒部渓谷に行きたくなった。
 間もなくして、職場の同僚と五月の連休直後の平日に行く機会が与えられた。
 バスで長野方面から行って、富山に抜けて、新潟を回り帰って来るコースだった。
 初めバスから見えたのは、新緑の若葉が美しい春の景色だった。桜が散って、芝桜やハナミズキのピンクの花が咲いていた。
 標高が上がるに従って、段々と冬に逆戻りをしていった。そして山が深くなるにつれて、厳しい自然の中でダムを建設した大変さを思った。
 初めて見た黒部ダムは予想以上に大きく感じた。作業員延べ一千万人、殉職者百七十一人、工期七年で完成した。最初に殉職者慰霊碑に行って手を合わせた。「黒部に怪我はない。」この言葉は重い。ミスは即、死に繋がることを表現した言葉だ。人が入ることのない秘境でのダム建設がいかに過酷を極めたを、殉職者の名前を刻んだプレートを通して目の当たりにした。
 自然の前に人間は微々たる存在であると同時に、それでも偉大な仕事を成し遂げた証を黒部ダムは物語っている。
 麓は春真っ盛りであったのに、山の上のホテルに着くと周囲は雪がまだ残っていた。真冬の寒さだった。
 翌朝行った雪の大谷は、道の両側に二十メートル近くの雪の壁ができていた。圧巻だった。長岡で二メートルくらい雪が積もったのを見て驚いたが、その十倍の壁に圧倒された。雪で造られたグランドキャニオンのように見えた。
 山を下りると、再び春が戻って来た。落差三百五十メートルで日本一の称名滝は、激しい水しぶきを上げながら見事な勇姿を見せていた。この滝は、法然上人が滝の音を聞いて、「南無阿弥陀仏」の称名念仏に聞こえた、ということから名前が付いた、とガイドさんが教えてくれた。私には称名は聞こえないが、思わず手を合わせて、称名を唱えたくなるような有り難い絶景だった。
 私たちが行った時は見られなかったが、黒部ダムの放水ツアーがあるという。法然上人が黒部ダムの放水の音を聞いたら、やはり称名念仏に聞こえただろうかと、ふと思った。
https://www.tripadvisor.jp/Trips/95248406/%E9%BB%92%E9%83%A8%E3%83%80%E3%83%A0

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冬至とクリスマスと日本

f:id:hiroukamix:20191227054208j:plain クリスマスは最初、冬至を祝う祭りから始まったようだ。その祭りはイエスが生まれる遥か前からあったという。
 冬至は一年で一番昼が短い。冬至から段々と昼が長くなる。太陽が復活して、太陽の恵みが増していくことに感謝する祭りだったようだ。寒さはまだこれからが本番だが、日が長くなるというのは、とても希望を感じる。私も首を長くして、冬至を待っていた一人だ。
 太陽を特別な存在として崇めたり、感謝する風習は世界中にある。その中でも特に日本は太陽と縁の深い国だと思う。
 まず国名が「日本」、即ち「日の本の国」だ。国旗は「日の丸」であり、世界で一番太陽をストレートに象徴している国旗だ。皇室の先祖は「天照大神」であり、菊の紋章も元は太陽の光が照らすイメージを表現したという。聖徳太子は日本のことを「日出ずる国」と表現した。ちなみに中国のことを「日の沈む国」と言ってお叱りを受けた。
 また昔から日本では、男の子は「日子」即ち「彦」と呼ばれ、女の子は「日女」即ち「姫」と言われた。日本人は「太陽の子孫」という訳だ。
 その意味では、クリスマス以上に「冬至」や「太陽」をお祝いする祭りがあっても良いと思うが、余り聞かないのが不思議だ。
 祭りと言えば、来年はオリンピックの祭典がある。ギリシャオリンピアで太陽光から採火された炎が聖火となる。その大きな聖火が見守るところで競技をするのは、まるで太陽が見守っているようだ。
 生きとし、生けるもの、全てが太陽の恵みを受けている。これから毎日、昼が長くなっていく。誰の上にも等しく愛のように光を注ぐ太陽に感謝していきたい。
 ところで昨日は部分日食があった。残念ながら、仕事でずっと室内にいて、晴れていたのか曇っていたのか、見えたのか見えなかったのかも分からなかった。

我が家のサンタクロース

今週のお題「クリスマス」f:id:hiroukamix:20191226054318p:plain
 子供の頃に、クリスマスにプレゼントをもらった記憶がない。もらったのかもしれないが、覚えていない。
 先日書いたように、アイスで作ったデコレーションケーキが吉祥寺の伯母さんから毎年届いたので、それで十分満足だった。他に何か欲しいとも思わなかった。
 いざ自分が上げる側になってからは、毎年おもちゃ屋などに行って、プラモデルやゲームなどを買いに行った。一人、二人、三人と子供が増えるに従って選ぶのも一苦労だ。ゲームは大体家族皆で遊べる物を選んだ。プラモデルは、子供にとって少し難しいのを選んだ。
「お父さん、手伝って。」
 この一言を待っていた。結局、ゲームもプラモデルも自分も一緒に楽しんでいた。
 ある年に無線で飛ぶ小さなヘリコプターを買ったことがある。子供以上に自分が夢中になって遊んだ気がする。今もあるが、誰にも見向かれずタンスの隅っこに眠っている。
 最近は特に何もしなくなった。子供たちも成人して、サンタの出番はなくなった。
 それでも毎年クリスマスの晩は、特別な夕食やケーキが出る。今は家内がサンタクロースかもしれない。

2000年に影響を与えた3年間の歩み

今週のお題「クリスマス」
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 クリスマスはイエス・キリストの生誕をお祝いする日だ。イエスの誕生日ではない。西暦はイエスの誕生の翌年を元年としている。もし、イエスが生きていたら、今年で2019才を迎えたことになる。これも実際は4年ほどずれていると言われる。それはともかく、イエスの誕生の意味は深い。
 民主主義も三権分立も資本主義もキリスト教から生まれたとされる。多くの絵画、音楽、文学、映画、科学にもキリスト教の影響は大きい。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」や「岩窟の聖母」、バッハの数々の教会音楽やヘンデルの「メサイヤ」、ドストエフスキーの「罪と罰」やダンテの「神曲」、映画の「キング オブ キングズ」や「偉大なる生涯の物語」など、数え切れないほどの名作がある。聖書は永遠のベストセラーと言われている。
 日本にもキリスト教文学がある。遠藤周作の「沈黙」や三浦綾子の「塩狩峠」が有名だ。聖書やキリスト教は様々な分野にテーマを与えてくれる。
 科学と宗教は相容れないと思われるが、コペルニクスケプラーガリレオニュートン皆神を信じていた。ニュートンキリスト教に関する著書は科学の著書の2倍ある。
 たった一人の人間、しかも結婚もしないで、33才で悪魔の頭と言われて殺された人物がこんなにも大きな影響を及ぼすことが凄い。
 実際イエスについて聖書に書かれているのは人生最後の僅か3年間しかない。3年などという期間はあっという間に過ぎてしまう短い期間だ。しかし、この3年の生き様が世界や歴史に影響を与えてきた。
 キリスト教は、 時には戦争や植民地、奴隷の売買など暗い影の部分も多い。歴史の根底に、良しに付け、悪しきに付けて、大きな存在感を与えている。
 日本人は、キリスト教のクリスマス、お寺の除夜の鐘、神社に初詣と一ヶ月足らずの期間でや三つの宗教行事を通過する。宗教に大らかなのかどうかは分からないが、私たちは知らず知らずの内に様々な宗教の影響を受けているようだ。

真夏のクリスマス

今週のお題「クリスマス」
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 二十年ほど前だが、年の瀬に二年続けて南米のウルグアイに行った。一回目に行った時のことは「いい肉」のお題の時にも少し触れた。更に詳しい内容は11月1日と2日にも書いた。
 ウルグアイは日本の裏側なので、真夏だった。真夏の年末というのは不思議な感じだ。大晦日の晩、カウントダウンが始まった。3、2、1、0、すると年が明けた瞬間、花火があちこちで打ち上げられた。しばらく続いた。明るい南米らしい新年の迎え方だ。
 あちらではクリスマスが年を越えても続いていた。正月というよりも、一月になってもクリスマスの雰囲気の方が強かったような気がする。しかし、真夏のクリスマスは気分が出ない。サンタが何に乗って来たかは覚えていないが、トナカイではなかったことは確かだ。
 年が明けてから、ビザを取ってブラジルに行こうとしたが、一週間過ぎても役所がクリスマス休暇ということで、結局そのままウルグアイに足止めされた。
 街に出ると、確かにクリスマスツリーはあるが、真夏なので、雪の飾りはない。サンタクロースは赤い服を着ていたが、とても暑そうだった。
 実は街に出て、二日続けて仲間が引ったくりに会った。二日目は白昼堂々と人混みの中で、殴られてバッグを取られた。警察に行っても、運が悪かったくらいの返事しかなかったという。怖くなって、その後は観光の時以外はホテルの中で過ごすことにした。
 幸い、ホテルのレストランは朝も昼もバイキングだったので、朝から陣取って、昼過ぎまで話をしながら、色んな物をお腹一杯食べた。話と食事が飽きたら、部屋のテレビで映画などを見て過ごした。
 結局真夏のクリスマスは、残念ながらクリスマスらしい思い出は余りない。あえて言えば、毎日美味しい食べ物を好きなだけたべることができたことと、クリスマスとは関係ないが、生まれて初めて見た南十字星が一番の思い出かもしれない。

口が主役のクリスマスパーティー

今週のお題「クリスマス」
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 昨日職場関係のクリスマスパーティーがあった。二百人くらいが集まった。メインは食べることと喋ることの二つ。即ち口が主役だ。
 毎年この企画や準備に携わる。結構大変だ。二ヶ月前から準備会議が始まり、前日まで続く。直接私は担当しないが、一番大変なのは食材の準備と調理だ。二百人分の肉やサラダ、果物、ケーキなどの調達だけでも大仕事だが、それを食べられる状態に準備するのは更に大変だったと思う。
 寿司、鳥の丸焼き、クリスマスツリーの形をしたブロッコリーとポテトサラダ、生ハム、イチゴ、ブドウ、パイナップル、キウイ、バナナなどの果物、特大ケーキ、プリン、パン、スープ、飲み物などお腹一杯食べた。(写真) 実は二週間前に試食会があったので、二度もご馳走になった。
 美味しい食事があると、会話も弾む。口が開き放しだった。食べたり喋ったり忙しかった。
 コーラスも良かった。子供たち、中高生、青年、大人、どれも良かった。特に小学生のトーンチャイムは絶妙だった。七人が二つづつトーンチャイムを持って、全員で一つの曲を演奏する。一つでも間違えると、曲が乱れる。七人の心が一つとなって、まるで一人で演奏しているように聞こえたのは見事だった。
 最後に抽選会があった。私は残念賞ではあったが、お土産もできた。一位はデズニーランドのペアーチケットで、当たったのは92才のおじいさんだった。お孫さんに上げるのかと思ったら、誰と行こうかと迷っていると聞いた。元気な方だ。
 大きな行事が終わって、ホッとしているところだ。今年もいよいよあと僅かとなった。一年の締めくくりと、来年の準備をしなければと思う。

キャンドルサービスの意味を知った初めてのクリスマス

今週のお題「クリスマス」
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 学生時代の四年間を甲府で過ごした。甲府駅から武田通りを通って大学に通った。武田通りは突き当たりに武田信玄を祭っている武田神社がある。大学に行く途中右側にクリスチャンセンターという所があり、毎日のように立ち寄っていた。クリスチャンだった訳ではないが、無料で英語を教えてくれたのがきっかけだった。日本人とアメリカ人のとても優しい牧師夫妻がいて、行くといつも満面の笑みで迎えてくれた。居心地が良かった。それも毎日のように立ち寄った理由だ。
 そこで、初めて本当のクリスマスらしいひと時を過ごした。大学一年の時、クリスマスイブに招待された。美味しいご馳走やケーキが出てきた。キャンドルサービスがあった。牧師さんから初めてローソクの意味を教えてもらった。
 ローソクは自分の体である蝋を溶かしながら、周囲に光と温もりを与える。同じように、イエス・キリストは自分の体を犠牲にしながら、周囲に真理の光と愛の温もりを与えた。ローソクの一生とイエスの一生が同じだと言う。なるほど、と思った。
 部屋を暗くして、ローソクをつけて、「きよしこの夜」を歌った。何だか、本当に清らかな気持ちになった。忘れられない一夜だった。