劇的な再会

f:id:hiroukamix:20200218191203j:plain 人と人との出会いは、時としてとても不思議である。偶然にしてはでき過ぎている出会いがあった。
 千葉で営業をしていたことがある。二年半ほどだったが、その時私には五百人くらいの顧客がいた。しかし、残念ながら、多忙や筆不精を言い訳に、ほとんどの顧客とは縁が切れてしまった。
 その中に印象に残っている人が何人かいる。分野は違うが、同じ営業をしていたSさんという人がいた。私が売った商品を気に入ってくれて、自分の顧客にも四十人くらい紹介してくれた。
 私が紹介客の家に行くと、お茶とお茶菓子が準備してあり、私はただ説明するだけで、Sさんが契約の段取りを全てしてくれた。紹介料は一切受け取らなかった。
 そのような人が数人いて、二十人とか十人紹介してくれた。縁に恵まれて、とても感謝だった。
 当時の顧客の中で、四十年ほど立った今も縁を持っている人が何人かいる。
 Tさんとは、東京湾の埋立にある巨大な団地で出会った。見晴らしの良い高層階に住んでいた。初めて出会った時に、初めての気がしなかった。前から知っているような不思議な感じがした。何度か訪問を重ねて契約にこぎつけた方だった。
 その出会いが縁で、同じ仕事をするようになった。感性や飲み込みが良く、立派な営業マンになった。このまま頑張り続けてくれると思った。
 ところが、ある日突然仕事を辞めて、九州の実家に帰ってしまった。青天の霹靂だった。実家の住所も電話番号も知らず、今のように携帯電話などもなかった時代なので、もうそれまでの縁と思われた。しかし、どうしても諦め切れず、ずーっと心の中に留めていた。
 私の高校、大学の同級生にO君がいる。四十年以上の交流がある。とても秀才で高校の時は有名だった。少し近寄り難い雰囲気があり、高校時代は一度も会話をしたことがなかった。
 しかし、同じ大学に通うようになった。ある日、同じ電車に乗り合わせ、吊り革につかまって隣に立っていたO君と出会った。迷わず私から声をかけた。それがきっかけとなり、とても親しくなった。
 彼はその後、塾の人気講師となり、生徒を増やし、塾を発展させた功績で経営を任されるまでになった。
 O君は親孝行で、親の面倒を見ながら実家で暮らしていた。私は、ほとんど実家に帰らず、親孝行をしたこともなかった。たまに実家に帰ると、母がO君を引き合いに出して、愚痴をこぼすことがあった。
 縁があって、先ほどのTさんとO君と私の三人で、上野で会って一緒に食事をしたことが一度だけある。
 その後、O君が実家に戻り塾の講師になる前の仕事の時、転勤で九州に行った。ある日、O君が街を歩いていた時に、九州の実家に帰っていたTさんとバッタリ出会ったのだ。たった一度しか会っていない二人だったが、お互いにすぐに分かったという。縁とは不思議なものだ。それから再びTさんとの交流が再開して、いまだに続いている。
 Tさんとは、初めて会った時から少なからぬ縁を感じていたので、何となくまた会えるような気はしていたが、それにしても、世間は広いようで狭い。