劇的な再会 2

f:id:hiroukamix:20200218191053j:plain 同じ千葉の営業時代に会った忘れられない人がいる。
 ある目標に向かって、一ヶ月間の取り組みをしていた。十日立ち、二十日が過ぎも目標ができなかった。少し焦っていたが、望みを最後の十日間に懸け、必死に歩んだ。そして遂に最終日を迎えた。
 最終日にもかかわらず何故か不安はなかった。できない気がしなかった。そしてその運命の日に、Mさんという方に出会って目標を達成したのだ。だから私にとって、Mさんとの出会いはとても劇的なものだった。Mさんにそのような話をしたことはない。
 Mさんとは商品を買ってもらった縁でその後も何度か交流をした。しかし、人事や度々の引っ越しがあり、Mさんとの交流は途絶えてしまった。
 その後、私は千葉から新潟を経て群馬に移り住んだ。Mさんのことはすっかり忘れていた。
 それから五、六年してからのことである。群馬の高崎に住んでいた私は、用事があって長野の伊那に行った。
 伊那に着き、市内の高台に登ると、美しい桜の花が満開だった。高台からは下に伊那の街並みと遠くにアルプスの雄大な山々が見えたように記憶している。
 高台を降りて、予定していた訪問先を訪ねた。するとそこで何と千葉で営業をしていた時に出会ったMさんにバッタリと会ったのだ。お互いにビックリである。一瞬狐につままれたような感覚になった。
 最初は五、六年立っていたのと、まさかこんな所にいる訳がないという思いから、すぐにMさんだとは気がつかなかった。でも正真正銘それはMさんだった。
 Mさんは以前と同じ千葉に住んでいたが、用事があってたまたまその日伊那に来ていた。高崎と千葉に住んでいる両者が長野の伊那で出会うのだから、真に不思議な縁だった。
 しかし、それはただの縁ではなかった。Mさんは捨てる神に取り憑かれた真っ只中にいたのだった。人生絶望の淵にいて、
「世の中に神も仏もいない。もう全てが嫌になった。一ヶ月間の願かけをして、何も起こらなければ、何もかも捨ててしまいたい。」と思い詰めて、胸の中である決意をしていた。
 実は不思議なことに、Mさんと私が伊那で再会したその日が、願かけを始めて丁度一ヶ月目の最終日だったというのだ。Mさんは「神も仏もいた。」と実感したそうだ。 
 その後Mさんは人生の絶望から抜け出した。更に数年後に、結婚して家庭を持ち、幸せに暮らしている旨の手紙をもらった。拾う神のお導きである。
 私がMさんと出会ったのも、思えば一ヶ月間の取り組みをしていた最終日だった。
 縁とは摩訶不思議なものである。これも決して偶然とはとても思えない出会いだった。
 伊那に行く予定が一日違っても会えなかった筈だし、その日伊那ではなく別の場所に行く予定にしていたらやはり会えなかった筈だ。
 その日私が何故伊那に行こうと決めたのかはっきりと覚えていないが、Mさんに会わせる為に拾う神が仕組んだ演出としか考えられない。