神様の愛「シャチ」

今週のお題「乗ったことがある動物」

 お題からそれてしまいますが、実は自分が動物に乗ったわけではありません。人間が動物に乗っているのを見た話です。あまりにも感動的だったので、書くことにしました。
 千葉の鴨川シーワールドに行ったときのことです。シャチのショーを見ました。シャチは獰猛で、「海のギャング」といわれています。サメやクジラも食べてしまう、海の植物連鎖の頂点に立ちます。
 目の前でシャチを見たときは、その大きさに圧倒されてしまいました。シャチの横で泳ぐ人間が小さな金魚のように見えました。
 あの獰猛なシャチが、人と一緒に泳いでいるだけで驚きました。
 突然、横で泳いでいる人が溺れたふりをしました。すると、シャチが一目散に溺れた人間に向かいました。そして自分の背中に人を乗せて、プールサイドに送り、救助したのです。
 あまりにも見事な芸当に、会場の観衆は拍手喝采です。私は本当に感動しました。どんなに獰猛な動物でも、人間が心から愛情と信頼をもって接したら、一つになれるのだと思いました。
 動物が人に噛みついたり、人が動物を怖がるのは、信頼関係ができていないからだと思います。本来神様は愛を動機として万物を創造されました。神様は人とあらゆる動物が仲良く暮らす世界を見たかったはずです。
 ライオンやトラの背中に人が乗って走る世界が、普通になる日が来たらいいなと思います。

神様の愛「ブログ」

特別お題「わたしがブログを書く理由

 私がブログを書き始めた理由は、本を出版したいという夢があったからです。
 もともと書くことが苦手だった私です。ですから本を出すことは大きな挑戦でした。
 文章力を磨くために、最初の五百日くらいは、一日も欠かさず毎日ブログを書き続けました。
 しかし何を書いていいのか分からない日も多くありました。そのときに一番助けになったのが、「今週のお題」でした。
 お題のテーマにそって思いをめぐらせると、必ず何か浮かんできます。自分では思ってもいなかった発想が、心にわいてくることが何度もありました。忘れていた過去の記憶が鮮明に蘇ってくることもありました。ブログのお陰です。
 出版したい本は随筆と決まっていたので、日常の体験や思いを書けるブログは、とても役に立ちました。
 お陰様で、今年になって無事に本を出版することができました。まだまだつたない内容ですが、私にとっては奇跡的なことです。今後もブログに書きためた内容をテーマ別に引っ張り出して、数冊の本を出版したいと考えています。

神様の愛「車酔い」

今週のお題「苦手だったもの」

 私は子どものころに車酔いに大変悩まされました。ひどいときは、車に乗って動き出す前に気分が悪くなりました。
 ですからバスで行く遠足が大嫌いでした。周りの人は楽しく愉快にはしゃいでいるのに、私だけは憂鬱で病人のような暗い顔をしていました。
 ある日、とうとう地獄のときがやってきました。小学校六年の修学旅行です。二泊三日で江ノ島、鎌倉をバスで回わります。小学校生活最後の楽しい時間のはずですが、私にとっては拷問の時間でした。
 出発前日の晩、あまりにも気が滅入っている私を見て、父が話をしてくれました。
「酔うと思うから酔うんだ。僕は大丈夫。酔わない、と自分に言い聞かせなさい」
「心の持ちかた次第で、人間はどうにでもなるんだ」
 話の基本はそんな内容でした。ついに修学旅行の朝がきました。席に着くやいなや「僕は大丈夫。酔わない」心の中で悲痛な叫びをし続けました。
 バスが出発しました。何とか三十分以上持ちこたえましたが、だんだんと気分が悪くなってきました。自分でもどうしようもなく、我慢の限界がやってきたとき
、ふと父の言葉が脳裏に浮かびました。
「大丈夫。絶対に酔わない。酔うなんてあり得ない」 
 すると不思議なことに、とてもスッキリした気分になりました。そして、奇跡的にも修学旅行のあいだ、まったく酔いませんでした。
 生まれて初めてバス旅行を楽しむことができました。鎌倉の大仏、鶴岡八幡宮江ノ島七里ヶ浜など良き思い出として残っています。
 しかし、それ以上に酔いを乗り越えた喜びと勝利感、そして大きな自信が与えられました。
 そのときから今にいたるまで、一度も車酔いをしたことがありません。父のおまじないの成せるわざです。

神様の愛「左利き」

今週のお題「苦手だったもの」

 私は子どものころ左利きでした。字を書くのも、箸を持つのも左手でした。
 親はとくに何も言いませんでしたが、親戚のおばさんが、
「右手を使いなさい」
 と、とてもうるさく言いました。会うたびに言われるので、だんだんと右手を使うようになりました。しかし左手ばかりに慣れていましたので、右手を使うのは簡単ではありませんでした。
 何年か掛けて、ようやくペンを持つのも、箸を持つのも右手で何とかできるようになりました。
 それでも、今だにハサミやナイフを使うときは左手です。刃物は怖くて、右手に替えられなかったのだと思います。
 数年前に右手の指を骨折してしまいました。そのとき左手で書いたり、箸を持たざるをえませんでした。そして昔の感覚が戻ってきました。
 それ以来どちらの手でも、食べたり、書いたりすることができるようになりました。それでもハサミとナイフだけは左手のままです。
 左手を使うと右脳が刺激されるといいます。右脳は芸術やアナログ的なものを司るようです。私は絵画や音楽が大好きです。よく切り絵を作成したり、ピアノを弾きます。
 時計もデジタルよりアナログが好きです。左利きの効能が少しあるのかもしれないと思います。

神様の愛「書くこと」

今週のお題「苦手だったもの」

 私は書くことが、とても苦手でした。小学生のとき、作文や感想文が書けずに、いつも肩身の狭い思いをしました。何を書いていいのか、何も頭に浮かんできませんでした。
 本を読むのも嫌いで、小説や文学などまったく縁がありませんでした。字を見るのが好きではなかったので、漫画も絵だけ見て、字はほとんど読みませんでした。

 あるとき、仕事でさまざまな話をしなければならない機会が与えられました。そのために、原稿を準備する必要がありました。
 それが、文章を書くきっかけになりました。話の内容を考えるために、本も読まなければなりません。話に合わせて、いろいろな分野の本を読みました。それで書くことが楽しくなりました。
 あれだけ書くことが苦手だった自分が、今年本を出版しました。考えられないことです。
 このブログをとおして、書くことに拍車がかかったと思います。とても感謝しています。

電子書籍
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紙の本
「捨てる神 拾う神 」(Puboo - デザインエッグ社) https://amzn.asia/d/bXcrwT2

神様の愛「音楽」

今週のお題「苦手だったもの」

 私は小学生のころ、音楽が苦手でした。歌が下手だったことに加えて、短調とか長調とか、何分の一音符とか、さっぱり分かりませんでした。学べば学ぶほど、どんどん迷路に入ってしまいました。
 そんな私が、今は毎日ピアノを弾いています。合唱団に入って、五、六年ほど毎週大勢の前で歌った時期もありました。音楽がこんなに楽しいものだとは思いませんでした。
 もとは子どもたちがピアノを習っていましたが、みな途中でやめてしまいました。居間に置かれていた電子ピアノが寂しそうだったので、私が弾くことにしました。
 すると、思ってもいなかった楽しさと感動と喜びが与えられました。こんな楽しい世界があるのかと、ピアノに夢中になってしまいました。
 決して上手ではありませんが、毎日自己満足にひたりながら、ピアノを弾いています。

 昨日は、家から歩いて三分のところにある音大のコンサートに行ってきました。総勢七十人以上のオーケストラでした。
ウィリアム・テル序曲』は聞き慣れた、とても軽快でリズミカルな曲でした。つい体を動かしたくなりました。
アルルの女』は美しいハープの響きから始まって、フルートの心地よく穏やかなメロディーが終始リードしていました。
火の鳥』は重々しい音から始まり、変化にとんだ流れが想像をかき立ててくれました。
 今では音楽は、日々の生活の中で欠かすことのできない私の一部となりました。

神様の愛「話すこと」

今週のお題「苦手だったもの」

 私は話すことが大の苦手でした。対人恐怖症で、少しどもりもあったので、大勢の人前では勿論、一対一でも緊張しました。
 学校の授業で手を上げたことなど一度もありませんでした。
 そんな私が、訪問販売をしたことがあります。毎日、一日中歩いても実績はありませんでした。売れるはずがありません。ドアを叩かないのですから。人が出てくるのが怖くてノックできませんでした。

 あるとき、大きな転機が与えられました。苦手なことから逃げれば逃げるほど、追いかけられてしまいます。そこで逃げずにぶつかっていくことにしました。                                                                                                                                 
 すると不思議と道が開かれてきました。それから人と会うことも話すことも好きになりました。そして、いつも社内でトップの実績を上げるようになりました。
 苦手なことから目を背けていたことが問題でした。前向きに希望さえ捨てなければ、人は誰でも変われるんだと思います。
 その後、マンツーマンで話を聞いたり、毎週百人から二百人くらいの前で話をする仕事を三十年ほどしました。以前の自分では考えられないことです。
 人生は、捨てる神あれば、拾う神あり、だと思います。

 詳しくは、私の著書『捨てる神 拾う神』(puboo-デザインエッグ社)に載っています。