神様の愛「幸福の木」

今週のお題「復活してほしいもの」

「復活して欲しいもの」ではなく「復活したもの」を書かせて頂きます。

 職場に太さが2センチほどで、長さが1.5メートルほどの幸福の木がありました。葉がてっぺんに少し付いているだけで、ひょろひょろで、とても格好悪い木になってしまいました。

 その幸福の木を、6年ほど前に復活を願って切りました。下のほうは6つに等分して切り、水を入れたコップに入れておきました。しばらくして根が出たので、欲しい人に上げました。
 
 上の葉が少し残った部分もバケツに入れて根が出てから、鉢に挿しました。それから順調に育ち、葉がたくさん出てきました。見事に復活しました。

 今月になって、上のほうに何か伸びていると思ったら、蕾がたくさんありました。ヤニのような物が流れていました。職場の多くの人が、幸福の木の花を見たことがないと言います。

 私は10年以上前にも一度だけ見たことがあります。白くて、強烈な匂いだったことを覚えています。正直あまり良い匂いではありませんでした。

 その時、花屋さんに買い物に行って話すと、花屋さんも見たことがないと言っていました。とても珍しい花かなと思います。花言葉は「幸福」「真実」「開運」「長寿」などです。まだ蕾ですが、これから花が咲くのが楽しみです。

赤鬼

今週のお題「鬼」
f:id:hiroukamix:20220202084845j:plain
 小学校の時に赤鬼というあだ名の教頭先生がいました。怒ると顔を真っ赤にして目をつり上げ怖い形相でした。おでこの両側の髪が後退していて、まるで2本の角が生えているように見えました。

 赤鬼は時々書道を教えてくれました。教え方がとても変わっていました。
「墨を擦りながら心を落ち着けなさい。」
といつも言います。字を書こうとすると、
「まだ心が落ち着いていない。もっと墨を擦り続けなさい。」
と言われて、授業中に一枚書くのがやっとでした。一枚も書けず、墨だけ擦って終わることもありました。何の為の書道か分かりませんでした。

 赤鬼は墨の擦り方に対しても、うるさく指導しました。
「墨の底が真っ平らになるように真っ直ぐ擦れ。」
と言います。これが私には中々できませんでした。真っ直ぐ擦っているつもりが、いつの間にか右に傾いたり、左に傾いたりします。更には前や後ろに傾いてしまいます。四隅を均等に擦るのは至難の業でした。教頭先生曰く、
「墨が傾くのは、心が曲がっているからだ。」
よっぽど私の心は曲がっていたのだと思います。

 更に紙が大切だからと、白い部分がなくなるまで練習させました。真っ黒になって、何を書いたかも分からなくなってしまいました。

 この教頭先生は、昼食の時間も簡単には弁当を食べさせてくれませんでした。目をつぶって瞑想をしながら、唾液が十分出るのを待たされました。唾液がしっかり出ていないと消化に良くない、という理由でした。

 ご飯も一口を口に入れたら百回噛めと言います。唾液とご飯がしっかり混ざらないと、消化できないからだと言いました。昼食が終わる頃には毎日顎の筋肉が疲れました。

神様の愛「梅」

f:id:hiroukamix:20220201092153j:plain
 今日は陰暦1月1日で旧正月です。昨日駅に行く途中に良い香りがすると思って見上げると、ようやく紅梅の花が咲き始めました。塀の中にあるので、勝手に入ることもできず、道端から暫く見ていました。近所で一番早く咲き始める梅の花です。

 数年前は1月半ばに五分咲きでした。全く色も形も非の打ちどころがない姿を見て感動した思い出のある梅の花です。今年も期待を裏切らず、綺麗な花と蕾を付けています。神様が創造した最高級の芸術作品の一つだと思います。

 私は毎年梅の花の開花を、首を長くして楽しみに待っています。華やかな桜も好きですが、寒さの真っ只中で咲き始める梅の花が大好きです。どんな困難や試練の中でも、希望があるよ、と励ましてくれているような気がします。

 昔はお花見と言えば、梅の花だったと聞きます。桜よりも風流だったに違いありません。桜は華やかですが、梅は気品を感じます。花言葉も「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」です。

 思えば「令和」も梅の花にちなんで付けた年号でした。万葉集で、書き下し文を引用すると、
「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」
となっています。

 令和に入ってコロナ禍が始まりました。まさに「忍耐」の日々です。「高潔」さを失わず、自分の心に「忠実」に生きていきたいと思います。

神様の愛「鬼退治」

今週のお題「鬼」

 先日、私たちの心と体の中に鬼が住んでいるかもしれないと書きました。「血気(鬼)」「怒気(鬼)」「邪気(鬼)」「狂気(鬼)」「浮気(鬼)」「弱気(鬼)」など、鬼によって失敗したり、不幸になることがあります。

 私は心の中の鬼(魔)を退治するために、二つのことを心掛けています。鬼(魔)の好物を絶つことと、鬼(魔)が嫌いな行いをすることです。

 まず鬼(魔)の好物を絶つことです。鬼の好物は自己中心欲、過分な財欲や物欲、淫らな肉欲などです。ですから、それらを絶つことを通して、鬼は居心地が悪くなり、豆をまかなくても去って行くようです。
 自分勝手な思いや行いを慎む、物やお金に執着しない、淫らな思いを抱かないなどです。断捨離なども効果がありそうです。

 また鬼(魔)が嫌いなことは自己犠牲の愛、他の人の為に生きること、他人の幸せを心から喜ぶことなどです。そのような人の心も居心地が悪いので、鬼(魔)は避けて行きます。

 鬼を退治するのに、銃や刀は必要ありません。勿論爆弾や戦車もいりません。鬼(魔)に嫌われる生き方こそが、鬼退治の方法だと思います。しかし残念ながら、分かっていても時には鬼の好きなことをしてしまい、失敗してしまうことがあります。一生鬼退治が必要かなと思います。

鬼の岩屋

今週のお題「鬼」 
f:id:hiroukamix:20220130074848j:plain
 私の生まれは山梨県の大月という所です。ここに桃太郎伝説があります。

 大月駅の後ろに岩殿山があります。大きな岩が凛々しくそびえ立っています。標高はスカイツリーと同じ634メートルです。昔は頂上にお城がありました。頂上からの富士山の眺めは絶景です。

 岩殿山の麓に大きな岩の洞窟があります。人が何10人も入れる大きな空間です。そこに昔鬼が住んでいたそうです。鬼の岩屋と呼ばれています。近くには鬼が使った大きな杖や杯、流した血の跡もあります。

 甲州街道に沿って、大月の隣が猿橋です。日本三奇橋の一つです。猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て、百済の渡来人が造ったと言われています。

 猿橋の隣が鳥沢です。大月では子供の頃から良くキジを見ました。家の周りにも良く来ました。山が多いので、キジだけではなく、ホトトギスや山鳩など様々な鳥がいます。

 鳥沢の隣が犬目です。甲州街道日本橋から数えて21番目の宿場です。犬嶋神社という神社もあります。桃太郎伝説の犬にちなんだ話が残っています。

 そしてその北に猿と鳥、犬を見下ろすように百蔵山(桃倉山)という山があります。その麓で桃太郎が生まれたと言われています。鬼が暴れて村人が困っていたので、桃太郎が退治したそうです。

 伝説なので、真実は分かりません。そもそもおとぎ話の世界なので、空想を膨らませて、楽しく町起こしをするのが良いのではないかと思います。

本当にいる「鬼」

今週のお題「鬼」
f:id:hiroukamix:20220131082223j:plain
 今年も、もうすぐ節分の日が来ます。自分が子供の時は、豆まきを毎年必ずしていました。その時の豆は煎った大豆でした。畳の上に投げた豆を拾って、そのまま食べていました。年の数だけ食べるように言われて、食べた記憶があります。

 自分が親になってからも、毎年していましたが、途中から大豆ではなくて殻付きの落花生になりました。衛生面を考えてのことでした。
 最近は子供も大きくなり、全くしなくなってしまいました。

「鬼は外」と言いますが、「鬼」は本当にいるようです。「邪気」は「邪鬼」に通じます。「魔が差す」とか「病魔」「邪魔」「色魔」「睡魔」の「魔」も、字の中に「鬼」がいます。
 どうやら鬼は、家の中だけではなく、心や体の中にもいるようです。そして油断をしたり、不摂生をしたり、欲をかくと、鬼が侵入して来たり、暴れ出します。

 もしかしたら、鬼は元々自分の中に住んでいるのかもしれません。
「血気(鬼)」「怒気(鬼)」などに気を付けなければなりません。
「鬼」にやられないように、毎日心の中で豆まきが必要かもしれません。

今年の漢字「明」

今週のお題「現時点での今年の漢字
f:id:hiroukamix:20220128090348j:plain
 今年中にコロナ禍が収まり、マスクが必要ない時が来て欲しいという願いを込めて、「明」を選びました。
 長いトンネルを抜けて、明るい光が見えてきたイメージです。
 何度も大きな波が来て、いつ収まるとも分からない状況です。しかし必ず終わりが来ます。今年は、希望が見える年になって欲しいと思います。
 そのためにも、コロナが私たちに伝えようとしたメッセージがあるはずです。
「見えないけど、大切なものがある。」
「心と心の壁を作らないで欲しい。」
「空気を汚さないで欲しい。」
「健康にもっと感謝して欲しい。」
「地球をもっと大切にして欲しい。」
「争いをなくして欲しい。」
など、数えたら、切りがないほどの教訓があると思います?
「コロナのお陰で、見えない世界が見えるようになった。」
「コロナのお陰で、こんなに地球がよくなった。」
「コロナのお陰で、争いがなくなった?」
 そんな気づきを多くの人々がする世界に、コロナは必要ないと思います。今年は、そんな明るい年になって欲しいと思います。