相性の悪いもの

f:id:hiroukamix:20210119191208j:plain 相性の悪い物の筆頭が眼鏡とマスクです。息が白くなってきました。マスクをしていると、眼鏡が曇ります。ひどい時は、目の前が何も見えなくなります。自転車に乗っていて、危険を感じた時があります。どうもマスクと眼鏡は相性が悪くて困ります。曇らないマスクもあると思いますが。
 他にも相性の悪い組み合わせがあります。犬と猿は有名です。水と油もあります。食べ物では鰻と梅干し。
 ようやく、眼鏡が曇りにくくなる方法が見つかりました。ティッシュを細く折り畳んで、マスクの上の内側にパッキンのように入れます。息がティッシュに止められて、ほとんど曇らなくなりました。簡単な解決方法でした。
 ただ、食事などでマスクを外す時、ティッシュを入れたのを忘れて、ティッシュを良く落とします。毎日、マスクとティッシュを何かでくっつけるのも面倒なので、そのまま使っています。
 もう少し便利な方法も探してみようと思います。早くマスクの必要のない日が来るのを願っています。

電車の騒音

f:id:hiroukamix:20210118063938j:plain 線路沿いに家が並んでいます。ひっきりなしに電車が通り、騒がしくないのかなと思ったりします。
 学生時代に甲府まで通っていました。片道が電車で1時間くらいでした。ストライキで電車が動かなくなる前日に、親戚の家に泊めてもらいました。
 その家の目の前を線路が走っていました。電車が通る度に、話し声が聞こえなくなるくらい騒音がしました。夜も遅くまでうるさくて、中々寝付けなかった記憶があります。
 その親戚の方に、
「騒がしくて大変ですね。」
と言うと
「いいえ、もう慣れました。ストで電車が通らないと、かえって落ち着かないですよ。」
と言っていました。そういうものかな、と思いました。
 しかし良く考えたら、電車に乗っていると、車輪が線路のつなぎ目の上を走る度に、ガッタン、ゴットンと定期的に大きな音を立てます。そんな騒がしい電車の中でも平気で、心地良く居眠りをします。それなのに線路沿いの親戚の家の中では、うるさくて眠れなかったのが不思議です。

中々片付かない部屋の中

f:id:hiroukamix:20210117065557j:plain ステイホームで家の片付けをする人が増えていると聞きます。しかし私は物を大切にしているのか、未練や執着があるのか、部屋の中が中々片付きません。 
 整理と整頓は違うと言います。整理は必要のない物を捨てる事、整頓は必要な物を整える事。この整理が私は苦手です。
 片付けたつもりが、妻に言わせると右の物を左に移したり、外に出ていた物を中に押し込んだだけです。
 良く、ときめかない物を捨てなさいと言いますが、私は服や靴をリフォームしたり、様々な物を修理するのが趣味です。リフォームすると、自分の作品のように思えてときめいてきます。いつか、これもリフォームしようと思うと、中々捨てられません。つい先日は、調理道具が壊れましたが、たまたま取ってあった別の部品がピッタリと合い、直りました。
 ガラクタのような物や木の切れっ端もあります。何かの時に必要だろうと考えてしまいます。実際様々な修理の時に何度も役立っています。そうやって物が溜まります。
 狭い部屋に物が溢れています。先日読まなそうな本を20冊ほどようやく処分しました。
 妻は片付けが上手です。あの世まで持って行ける訳ではないから、と言ってどんどん捨ててしまいます。見事な断捨離です。私がリフォームして使おうと思っていたお気に入りの皮のカバンも、いつの間にか捨てられてしまいました。
 私の部屋の中は、片付ける物よりも入って来る物の方が多く、まだこれからも減る気配がありません。

春を告げる紅梅

f:id:hiroukamix:20210116063300j:plain 1ヶ月振りに温泉に行って来ました。玄関のモミジが先月は最高の紅葉でしたが、皆落ち葉になっていました。露天風呂のツワブキの黄色い花は綿毛になっていました。
 コロナのせいで、人はまばらでした。岩盤浴や内風呂は避けて、また露天風呂専門にしました。8つほどある浴槽はそれぞれが貸し切り状態でした。一人が一つの浴槽を独占できました。
 お湯の流れる音だけが響きます。全てを忘れて、ぼーっとできる時間と空間は贅沢です。身も心も癒されるのを感じました。時々鳥の鳴き声が聞こえます。目をつぶると、森の中にいるような雰囲気です。
 大きな岩の上から、三段の滝となって、お湯が流れ落ちて来ます。一見自然の滝のようです。そのすぐ横に紅梅の木が一本あります。湯気で温かいせいか、すでにたくさんの蕾が膨らんでいます。まだ1月なのに2、3輪開いている梅の花があります。一足早い春の訪れのようです。この梅の花を見るために、温泉に来たような気がしました。
 寒さの中で咲き始める梅の花が、私は好きです。大きな力が貰えます。ほのかな香りも上品です。桜のような華やかさとは違った、奥ゆかしさを感じます。
 梅の花言葉は「気品」「高潔」「忠実」「忍耐」「不屈の精神」など。

寿司にわさび

今週のお題「大人になったなと感じるとき」
f:id:hiroukamix:20210115053537j:plain 味覚は子供から大人になるに従って、確実に変わってきました。子供の時に、どうしても食べられなかった物がありました。ピーマン、椎茸、エビ、ふきのとう、わさびなどです。寿司は必ずわさび抜きでした。お茶も飲めませんでした。こんなに苦くてまずい物を何故大人は飲むのだろうと思っていました。
 昔は寿司には最初からわさびが付いているのがほとんどでした。ですから食べる度に、一々わさびを取り除いて食べました。これがとても面倒でした。わさびがご飯にこびり付いていると、そのご飯も嫌で取っていました。
 最近の寿司は、わさび抜きが多いと思います。たまに、わさびを切らしてしまう事があります。すると味気なくなってしまいます。味覚がすっかり変わりました。
 ふきのとうは大好物になりました。そろそろ芽を出す頃なので楽しみにしています。毎年ふき味噌にして食べます。
 エビも勿論好きです。何故食べられなかったのか不思議です。ピーマンや椎茸は食べますが、それほど好きという訳ではありません。
 いまだに子供の時からずっと口にできない物があります。苦いお茶です。玄米茶や八女茶は別ですが、皆が美味しいと言って飲む苦いお茶が私には飲めません。まだまだ舌が子供なのかもしれません。

「俺」「僕」「私」「わたくし」

今週のお題「大人になったなと感じるとき」
f:id:hiroukamix:20210114054428j:plain 子供の時は、自分の事を最初は「俺」と呼んでいました。途中から「僕」になりました。大学の頃に、自分の事を「私(わたし)」と呼ぶようになりました。それから少し、大人になった気分がしました。
 実際は大人でも「俺」と言ったり、「僕」と呼ぶ人は多いので、これは「私」にとっての個人的な主観です。
 子供の時は「私」という呼び方は、女の子だけが使う言葉だと思っていました。私の周囲の男性で、「私」という呼び方を自分に対してしていた人がいなかったからです。男性は「僕」か「俺」でした。
 私が初めて男性で、身近に「私」という呼び方を聞いたのは大学の時でした。サークルに入った先輩が、自分の事を「私」と呼んでいました。最初は少し違和感がありましたが、何か大人びた響きを感じるようになりました。
 そのサークルの男性の先輩たちが、皆自分自身の事を「私」と呼んでいましたので、自分だけが、「僕」と呼ぶのが変な感じになり、徐々に私も自分を「私」と呼ぶようになりました。そのサークルでは、それが自然でした。すると何となく、自分が少し大人の仲間入りをしたような気分でした。
 特別な場では「私」が「わたくし」になりました。そして語尾が「~でございます。」などと変わります。すると、更に少し大人っぽい響きを感じました。中身が変わった訳ではないのに、言葉遣いによって、雰囲気が変わります。
 実家に帰ると、再び「僕」に戻ってしまいます。子供の時に使っていた「僕」が、どうしても出ます。親の前では、いつまでも子供なのかなと思います。

不可能と思っていた車の運転

今週のお題「大人になったなと感じるとき」
f:id:hiroukamix:20210113060009j:plain 私は子供の時に、大人が車を運転しているのを見て、凄いと思いました。同時に左右の手を器用に使いながら、足も両足を使っています。目は前を見たり、鏡で後ろを見たりしながら、横や後ろの人と話をしています。
 私にとっては、曲芸師や手品師の離れ技のように見えました。自分には、大人のように車の運転は絶対にできないと思っていました。
 20代の半ば頃に、車の運転免許を取る機会が与えられました。恐る恐るの挑戦でした。しかし、自転車に最初は乗れなかったのと同じでした。慣れてしまえば、不安は消えてしまいました。
 初めての路上試験の時に、公道に出る瞬間、教官にブレーキを踏ませてしまい、公道で運転する前に、呆気なく落ちてしまいましたが、2度目にパスしました。免許を取ってから一度も自責の事故はなく、今日まで来ています。
 運転免許証を貰った時に、少し大人の仲間入りをしたような気分でした。最近は、運転をする事も少なくなりましたが、通勤や移動、ドライブや帰省、買い物など、車の運転のお陰で、楽しい時間をたくさん貰いました。