会いたい人④岩瀬忠震

今週のお題「会いたい人」
f:id:hiroukamix:20200513044341j:plain 横浜に掃部山(かもんやま)公園というところがある。横浜に住んでいた時によく散歩で行った。そこに、横浜開港の立役者として、井伊直弼(いいなおすけ)の銅像が建っている。掃部(かもん)というのは、井伊家の官職名だ。
 しかし、横浜の歴史を調べていたら、少し複雑な事実が浮かび上がって来た。実際にハリスと日米修好通商条約を結んだ人物は岩瀬忠震(いわせただなり)という当時の外国奉行(外交官)だった。
 岩瀬は、勝海舟を発掘して育てた人物で、幕末の三傑の一人に数えられる。坂本龍馬の先生の先生に当たる。
 岩瀬には信念があった。巨大な中国が、小さな島国であるイギリスに飲み込まれた。イギリスは資源が乏しかったが、貿易と技術によって世界に進出して、巨大な強国となった。イギリスと似て資源が乏しい小さな島国日本の進む道、生きる道は東洋のイギリスになることだ、という考えだった。
 岩瀬忠震は、アメリカとの交渉において、幕府の代表として全特権を与えられていた。そこで独断でアメリカと条約を結んだ。天皇の許可もなく、勝手に条約を結んだと、攘夷派(反開国)から猛反発を受けた。大老井伊直弼は、岩瀬忠震に全責任を取らせて、開港の前年に左遷した。更に安政の大獄により蟄居を命じた。間もなく岩瀬は病気となり、失意の内に44才で亡くなっている。
f:id:hiroukamix:20200513044501j:plain 横浜駅近くに本覚寺というお寺がある。その入口に、横浜開港を讃える岩瀬忠震の顕彰碑がひっそりと建っている。初めて行った時に、気が付かずに通り過ぎるところだった。  
 もうすぐ横浜開港記念日を迎える(6月2日)。開港後の歴史を見ると、何故かイギリスからバトンを受けるようにして、日本が貿易と技術によって大きな恩恵を受けて、経済大国になった。岩瀬の志が正しかったことを証明している。