霧の中のニッコウキスゲ

今週のお題「わたしと乗り物」
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 とても偶然とは思えない不思議なことがあった。
 ある年の七月中旬頃のことだった。七人くらいでワゴン車に乗って、諏訪から松本方面に行った。いつもの道では面白くないから、たまには別の道を走ってみようと、わざわざ遠回りをしてヴィーナスラインを通った。ヴィーナスラインは白樺湖、女神湖、車山、七島八島、霧ヶ峰、美ヶ原高原など風光明媚なところを通る道路である。
 とてもなだらかで爽やかな道だ。遠くにはアルプスの雄大な山々の景色が見えた。見晴らしの良い高原を走るのは、とても快適なドライブだった。
 そこでたまたまニッコウキスゲの群落に遭遇した。地平線まで山はニッコウキスゲの黄色一色に染まっていた。見事と言うしかない景色だった。思いがけない花との出会いに一同感謝した。
 ニッコウキスゲはたった一日で花が枯れしまう。次から次へと咲いて満開は僅か十日ほどしかない。この辺のニッコウキスゲは毎年七月中旬頃に咲くのだった。知らずに来たのに、幸運だった。感動して、必ず再び来ることを花に誓った。結局その後、十回ほどヴィーナスラインに来ることになる。
 ある年の夏、またヴィーナスラインに行った。勿論目的はニッコウキスゲだった。しかし、この辺りには霧ヶ峰と言われる山がある如くに、その年は霧が濃く、目の前を走っている車のテールランプも見えなかった。
「今年は残念ながら花は見れないね。」
 と皆諦めた。
 それでも、折角来たのだからとニッコウキスゲの一番群落がある車山まで行って車から降りた。降りた瞬間だった。どこからともなく突風が吹いたかと思うと、今まで視界を遮っていた霧を一瞬で吹き飛ばしてしまった。
 ついさっきまであった霧は何だったのだろう?地平線の向こうまで視界が開けると、いつものように目の前にニッコウキスゲの花がまるで私たちを待っていたかのように迎えてくれた。遥か彼方にある富士山さえ見えた。とても感動した。劇的過ぎた。
 二、三十分ニッコウキスゲの美しさに酔いしれた。今までで一番美しい光景に見えた。十分堪能したので、
「さあ、もう行こう。」
 と言って全員が車に乗り込んだ。すると次の瞬間に、再び突風が吹いた。何と今度は霧が戻って来た。目の前は何も見えなくなった。不思議なこともあるものだ。まるで私たちに、ニッコウキスゲ
「どう?私たち美しかったでしょう!」
 と言っているようだった。
 ヴィーナスラインにはいくつかの絶景があるが、七島八島を欠かすことはできない。いつものコースで、次に七島八島に向かった。移動する道は、目の前の車すら霧で見えなかった。フォグランプも役に立たなかった。
 慎重にノロノロ運転をしながら、ようやく七島八島の駐車場に着いた。やはり何も見えなかった。ここは駐車場から、道路の下のトンネルをくぐって七島八島の湿原に出る。十メートルほどの短いトンネルだ。
 トンネルをくぐる前は霧で何も見えなかった。しかし、道路下の短いトンネルを抜けると、そこは霧一つなかった。まるで別世界だった。僅か十メートルほどのトンネルをくぐっている間に、風が霧を吹き飛ばしてくれていたのに違いなかった。
 七島八島は尾瀬のミニチュア版のような湿原だ。一万二千年以上かけて八メートルもの泥炭層が形成された。長い時間が育んだ自然だ。大小様々な池が点在している。コケやアシの中に混ざって小さな草花があちこちに咲いていた。地平線の向こうまではっきりと見えた。散策路を二、三十分歩き、湿原を堪能した。
 一同感動して、再び道路下のトンネルをくぐって駐車場に戻った。何と再び霧で何も見えなかった。道路に出て七島八島の方向を見ても何も見えなかった。不思議なことがあるものだ。さっきのは夢か幻だったのだろうかと思った。
 新宿に職場があった時に、知人の会社の別荘が、ヴィーナスライン沿いの女神湖を見下ろす高台にあった。とても眺めが良く、ドラマの撮影に貸したこともある、と聞いた。
 夏の女神湖の花火大会の時は、周りの別荘は林に囲まれていて花火が見えないので、皆この別荘に集まって来るのだそうだ。
 当時売り出し中ではあったが、宿泊は可能だと言うので、その知人の好意で、新宿にいる時、二泊三日で四、五回別荘に行った。宿泊代は、シーツと枕カバーのクリーニング代だけで僅か一晩百二十円だった。
 この時も車山のニッコウキスゲや七島八島の湿原を見に行った。
 更にロープウェイに乗って、坪庭というところに行った。高山植物の宝庫で、今まで見たこともない不思議な植物がたくさんあった。幻想的な別世界に行った気がした。
 散策路があったが、行くところ、行くところ初めて見る珍しい植物ばかりだった。 
 ヴィーナスライン周辺には名前の通り、美の女神が住んでいる気がする。
 一人で美しい物を見たり、美味しい物を食べて感動的な場面に遭遇すると、心が痛んだり、がっかりすることがある。
 それは妻や子供たちに見せて上げたり、食べさせて上げられないからだ。自分一人だけで味わっても、喜びは半減する。喜びが大きければ大きいほど、落胆も大きい。
 その後、家族を連れてヴィーナスラインを走り、女神湖の別荘に泊まったことがある。一つホッとした気分だった。