さよなら車酔い

今週のお題「わたしと乗り物」
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 私は子供の頃に車に乗ると必ず酔った。たった二、三十分乗るだけで酔ってしまうのだ。
 ひどい時は、車に乗って動き出す前に吐いた。車に乗っただけで酔うイメージを連想してしまうのだ。
 だから、バスで行く遠足が大嫌いだった。周りの皆は楽しく愉快にはしゃいでいるのに、私だけは憂鬱で病人のような暗い顔をしていた。
 小学生の頃、毎年遠足に行ったが、一度も楽しい思い出はない。行った場所も何を見たのかも思い出せない。
 覚えているのは、お昼のお弁当に持っていったおにぎりに巻いてある、ご飯の水気を吸った海苔の匂いだけだ。あの海苔の匂いが大嫌いだった。今でもあの匂いを嗅ぐと、車酔いを連想して気分が悪くなる。だからおにぎりはあまり好きではない。
 しかし、とうとう地獄の日がやってきた。小学校六年の修学旅行だ。二泊三日で江ノ島、鎌倉をバスで回わる。小学校生活最後の楽しい時間のはずが、私にとっては拷問の時間だった。
 出発前日の晩、あまりにも気が滅入っている私を見て、父が訓示をしてくれた。
「酔うと思うから酔うんだ。僕は大丈夫。酔わない、と自分に言い聞かせなさい。」
「心の持ち方次第で、人間はどうにでもなるんだ。」
 話の基本はそんな内容だった。その話は二時間以上に及んだ。
 最初話を聞き始めた時は、
「また必ず酔うに決まっている。自分は父のような強い人間ではない。」
 と思っていた。
 しかし、父の話を聞いているうちに、
「今度は酔わないかもしれない。」
 と思うようになった。更に話を聞いていると、
「酔わないような気がしてきた。」
 という思いになり、最終的に
「もう絶対に酔わない。酔うなんてあり得ない。」
 と確信するようになった。不思議なものだ。何か父におまじないにかけられたような気がした。
 そして、ついにその日が来た。修学旅行の朝。バスに乗る私の足は少し重たかった。酔い易い人はバスの前のほうの席と決まっていた。席に着くやいなや「僕は大丈夫。酔わない。」心の中で叫び続けた。悲痛な叫びだった。
 いよいよバスが出発した。皆、おやつを食べたり、窓の外の景色を楽しんでいたが、私はそれどころではなかった。いかに酔わないでいるか、必死に耐えた。眠れば酔わないと思い、眠ろうともした。周りがうるさくて中々眠れなかった。
 何とか奇跡的に三十分以上持ちこたえた。やっぱり大丈夫だ。もう酔わないんだ、と思った。
 しかし、段々と気分が悪くなってきた。自分でもどうしようもない。また酔ってしまうのか、と弱気になった。もう駄目だ、我慢の限界がやってきた。腹の奥から、火山が噴火するような嫌な気分になった。
 その時、父の言葉が脳裏をかすんだ。
「大丈夫。僕は絶対に酔わない。酔うなんてあり得ない。」
 何度も何度も自分に言い聞かせた。 
 すると不思議なことに火山の噴火がスーッと収まった。とてもスッキリした気分になった。その後は特に気分が悪くなることはなかった。そして、奇跡的にも修学旅行のあいだ中、全く酔わなかった。
 生まれて初めてバス旅行を楽しむことができた。鎌倉の大仏、鶴岡八幡宮江ノ島七里ヶ浜など良き思い出として残っている。
 しかし、それ以上にはっきり覚えているのは、酔いそうになりながらも、それを乗り越えた喜びのほうだ。大きな勝利感と満足感があった。そして大きな自信が与えられた。
 その時から今に至るまで、一度も車酔いをしたことがない。あれほど酔ったのが嘘のようだ。父のおまじないの成せるわざだ。
 車酔いから解放されて喜んでいたが、小学校の修学旅行から三十年くらい立って、再び酔いで苦しんだ。今度は船酔いだ。
 アラスカに行った時のことだ。船釣りに行った。ハリバットという大きな魚が狙いだった。朝出発をして、夕方暗くなる前まで釣りをするという。風が強く波が荒かった。その上に小型の釣り船だった。船は木の葉のようにゆらゆら揺れた。十分もしない内に気分が悪くなった。
 地獄が始まった。お腹の中の物は全部吐いた。胃液も吐いた。それでも吐き気は止まらなかった。それが延々と続いた。釣りどころではなかった。船底にある部屋で休んだ。
 陸があの時ほど恋しいと思ったことはなかった。一分一秒でも早く陸に戻りたかった。
 しかし、アラスカの一日は無慈悲だった。行ったのは六月だったが、夜の八時になっても、九時が過ぎても空が明るい。夕方が来ないのだ。これを白夜というのか。それで釣りも延々と続いた。中々陸に戻る気配がなかった。
 とうに肉体の限界を越えていた。死んだようにフラフラだった。もう二度と船釣りはしたくないと思った。
 その後、懲りずに真鶴や金沢八景九十九里などで船釣りをした。いつも酔った。船酔いの克服は中々難しい。吐いた後は楽になった。アラスカのような地獄がなかったのは幸いだった。
 残念ながら、父のおまじないは船には通用しないようだ。