知情意と三無主義

今週のお題「部活」
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 2日前のブログにESSというサークルに入った話を書いた。実はその頃、三無主義というのが流行っていた。人間の心には、知情意という機能がある。知が麻痺すると無関心になる。情が麻痺すると無感動になる。意が麻痺すると無気力になる。これが三無主義だ。無責任を加えて四無主義というのもあった。三無主義や四無主義の人に対して、
「山に登ろう。」と言っても、
「どうせ、また下りてくるのに、何故登るの?」と、素っ気ない。
 歩いて行ける距離も、
「面倒くさい。」と言って、自転車や車に乗って行く。
 段々と息を吸うのも、
「どうせ、また吐くから。」と言って、面倒になる。
 そうなると、
「どうせ、いつか死ぬのだから、苦労して生きていてもしょうがない。」と言い出す。困ったものだ。
 しかし、これは深刻な問題だ。三無主義の延長線上に自殺があるからだ。
 本来人間の知は真理を求める。情は愛と美を求める。意は善を求める。それが健全な人間だ。知情意が麻痺してしまったら、生きる希望や喜びがない。
 そんなこともあって、自分は三無主義になりたくない、と思った。そこで、何か夢中になれるものを探していて、出会ったのがESSだった。お陰で、つまらない学生時代ではなく、毎日がワクワクの日々だった。
 青春時代は何かに夢中になれる価値ある時だ。部活を通して三無主義など吹き飛ばしてしまおう。