神様の愛「影」


 朝バス停に向かって歩いていると、目の前に巨人が歩いていました。10メートル以上の身長があります。驚いて目を凝らしてよく見ると、それは道路に映っていた自分の影でした。日が短くなり、まだ太陽が昇って間もないので、影が長く映っていたのです。
「影」という言葉にはマイナスのイメージがあります。影があっても、なくてもいけないようです。「影がある人」も「影が薄い人」も、決して褒め言葉ではありません。
 子どもの頃は、影踏みという遊びをしました。鬼が追いかけて、影を踏まれた人が次の鬼になります。しかし影を踏まれても、痛くも痒くもありません。
 光があれば影があります。絵画などでは、影が活躍します。レンブラントは光と影の明暗を明確にする表現を得意として、「光と影の魔術師」などと呼ばれています。
 影絵などという絵もあります。私は藤城清治さんの影絵が大好きです。甲府の昇仙峡に藤城清治さんの影絵美術館があります。何度か行きましたが、とても感動しました。ここでは影が主役です。
 影は大切なものです。「影で支える」とか「影となり日向となって」という言葉があります。あまり出しゃばらずに、謙虚な姿勢で誰かを助ける人です。
 字は違いますが、「お陰様で」という言葉もあります。人間は必ず誰かの支えや助けによって、生かされています。人だけではなく、太陽や空気、水、食べ物など多くの万物のお世話にもなっています。
 忘れ去れ易い影や陰に感謝して、お陰様の気持ちでいこうと思います。影という存在を与えてくださった神様に感謝します。