「レ・ミゼラブル」①やり直し

今週のお題「激レア体験」
f:id:hiroukamix:20200427065534j:plain 今NHKレ・ミゼラブルを放映している。「ショーシャンクの空に」は牢獄の中での話がほとんどだったが、「レ・ミゼラブル」は牢獄を出てからの話がほとんどだ。同じように絶望の中で希望を見つけながら生きた激レアな人生なので、感想を書きたい。
 以前本で読んだり、テレビでも見たことがある。大まかなことは覚えていたが、細かいところはほとんど忘れていた。
 改めて見て、気付いたことが幾つかある。
 牢獄を出てから教会で銀の食器を盗んだジャン・バルジャンに対して、司教は全てを許して、ジャン・バルジャンの良心を信じる。そして、これからどう生きるかは彼自身が決めることだと、責任を委ねる。
 人間はどんなに軌道を外れても、天はやり直しのチャンスを与えるものだと思った。この度の新コロナウィルスの問題も、人間が軌道を外れたことに対して、やり直しの為に天が与えた絶好のチャンスだと思う。
 ジャン・バルジャンは、やり直そうとして一生懸命に努力をする。しかし、それをあざ笑うかのように、徹底的に否定される。次から次へとジャベール警部やテナルディエ夫婦などを通して試練が来る。
 私たちも正しい選択をしても、否定されてしまうことがある。それは、ある意味で、やり直そうとする決意が本物かどうかを試されているのかも知れない。
 1週間のズレを修正するのと、1ヶ月のズレを修正するのと、1年のズレを修正するのと、10年のズレを修正するのと、皆代償は違う。ズレた期間やズレた度合いが大きいほど、代償も大きいに違いない。
 ジャン・バルジャンは長い牢獄生活で、だいぶ心が歪んでしまった。それで、大きな代償を払わなければならなかったのだと思う。
 今私たちも大きな代償を払っているが、10年、100年ではなく、何千年、何万年という長い人類歴史を通してズレてしまった軌道修正が迫られている。
 コロナに打ち勝つ為には、自分の本来の居場所、人間や社会のあるべき姿、正しい自然との関わり方を真剣に尋ね求めていかなければならないと思う。

続く

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