「仕事の思い出」のお題が出たので再度載せます。
私には絶対にしたくない仕事が三つあった。
一つ目は医者だ。気が小さいので、血を見たくなかったからだ。
最近のテレビドラマは流血シーンが多いと思う。しかも生々過ぎる。真っ赤な血がドバっと出る。つい目を背けてしまう。身体を切ったのに、口から血が流れるシーンを何度も見た。全く理解できない。誇張しているとしか思えない。
それはさておき、人の生命を救う為に、血を見ても動じないお医者様には、尊敬の念を抱かざるを得ない。
二つ目は学校の先生だ。人前で話をするのが苦手だったからだ。どもりで対人恐怖症だった私は、人と会うことすら大変なのに、大勢の前で話をするなどもっての外だ。そもそも人に何かを教える柄でもなかった。
三つ目は、商売だ。これも人が相手で必ず話をしなければならないからだ。頭を下げてばかりいるのも好きではないし、心にもないお世辞を言うのも苦手だ。
そんな私が寄りによって訪問販売の仕事をしたことがある。本当は逃げ出したかったのだが、成り行き上やむを得ず、することになってしまった。
最初に新人研修があった。千円くらいの商品を、一軒一軒訪問して売る訓練だった。毎日が地獄で、嫌で嫌でしょうがなかった。一日歩いても一つも売れない日が何日も続いた。売れるはずがなかった。ドアを叩かないのだから。人が出てくるのが恐ろしくて、ドアをノックできずに、同じ所をグルグルと回っているだけだった。話しをするのも怖かった。
二百人くらいいる社員の中で、いつもビリだった。ビリ仲間がもう一人いて、いつも二人で慰め合っていた。彼は沖縄出身だったが、愛嬌も良く、イケメンで話も上手かった。何故彼がいつもビリなのかは謎だった。
販売で訪問する任地まで、先輩社員が車で送ってくれた。ある日、任地に行く途中に、とんでもないことを考えた。
「車が事故にでもなったら、販売に行かなくて済むのに。」
自分勝手な馬鹿なことを考えたものだ。しかし、幸か不幸か私の願いは、その日の内に実現してしまった。ただ任地に行く途中ではなく、帰りの道でのことだった。
運転手の居眠り運転で、車が松の木に正面衝突したのだ。もし助手席に誰かが乗っていたら間違いなく即死だった。助手席がペチャンコだったので。
廃車になるような事故にもかかわらず、幸運なことに運転手も後ろに乗っていた他の社員たちも皆無事だった。ただ私一人を除いては。運転手は眼鏡が吹っ飛んだだけで済んだ。
私だけムチ打ち症で動けなくなって、救急車で病院に運ばれて入院した。病院の同室の人たちがとても良くしてくれた。数日間入院した後、一ヶ月くらい寝ていた。
事故になった理由は明白である。私がそれを望んだからだ。まさか本当に事故になるとは夢にも思わなかった。願いが叶って嬉しいというより、複雑な気持ちだった。
続く
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