五番目は兄弟の視点から父母の視点について触れてみたい。
今までの歴史を見ると、随所に兄弟喧嘩が見られる。一番古くは聖書の人類始祖の長男次男であるカインとアベルの喧嘩がある。人類最初の殺人事件になってしまった。
またユダヤ教、イスラム、キリスト教はアブラハムという共通の先祖を持った兄弟宗教だ。故にこれらの宗教戦争は皆兄弟喧嘩だ。カソリックとプロテスタントも長男と次男のようなものだ。
東西冷戦も共産世界と民主世界の兄弟喧嘩だった。過去の東西ドイツ、南北ベトナム、現在の韓半島の南北分断、中国と台湾、皆兄弟関係だ。
米中経済摩擦、米露関係、日韓問題、英国とユーロとの関係、等々皆兄弟関係の域を出ない。
国内に目を向けよう。アマテラスとスサノウの争いは姉と弟だ。源氏と平家、これも広い意味で兄弟だ。また天智と天武、頼朝と義経の文字通り兄弟の争い、南北朝の分裂、関ヶ原の戦いもある意味で兄弟喧嘩のようなものだ。
血のつながった兄弟ではなくても、ここで言う兄弟喧嘩は同じような立ち場同士を言う。仲の良い兄弟も勿論沢山あるが、争いと言うと、兄弟のような関係が多い。
しかし、これからは兄弟関係を越えていかなくてはならない。どうするかと言えば、父母の立ち場に立つことが大切だと思う。
子供の良いところも悪いところも受け止めることができるのが、本来の父母だ。特に母親は子供の気持ちに共感し、寄り添うのが上手だ。故郷を慕う情が湧くのは、初めて自分が父母から愛された所だからだ。
昔から、父母の情は海よりも深く、山よりも高いと言う。父母は自分が食べなくても、子供に食べさせる。自分はボロを着ていても、子供には良い服を買って上げる。子供の為にどんな苦労も喜んでする。与えても、与えたことを忘れて、また与える。
このような父母の立場、父母の視点に立ってこそ、初めて争いの時代を抜け出せると思う。これを単なる理想論にはしたくない。