泣き婆さんの話を聞いた。昔、お婆さんがいて、二人の息子がいた。一人の息子は傘屋だった。もう一人は紺屋(染め物屋)だった。
そのお婆さんは晴れると泣く。
「傘屋の息子が可哀想だ。傘が売れない。」
雨が降るとまた泣く。
「紺屋の息子が可哀想だ。染め物が乾かない。」
晴れても、雨が降っても泣くので、泣き婆さんと言われた。
ところが、その泣き婆さんが、ある日から笑い婆さんになった。晴れると笑う。
「今日は染め物が良く乾くので、染め物屋の息子が喜ぶ。」
また雨が降ると笑う。
「今日は傘が売れて、傘屋の息子が喜ぶ。」
この話には幾つかの教訓がある。環境や他人を変えようとするのではなく、自分の心の持ち方や物の見つめ方を変えれば、時には大きな苦労や悲しみが瞬時に解決する場合がある、というのが一つだ。誰々が悪い、何々のせいで自分は不幸だ、と思っている限り、その人は一生奴隷や僕のような人生だ。
また人間は、自分の持っていないものばかりを見ようとして、悲観したり、憂鬱になる。すでに与えられているものを見て、感謝することが大切だと思う。十個ある欠点を見てがっかりするよりも、一つの長所を大切に伸ばす方が賢い生き方だ。
かつては私も泣き婆さんだった。様々なことを理由にして、ああだから難しい、こうだからできない、といつも屁理屈を言って否定的な生き方をしていた。問題を見ないで逃げていた。しかし、逃げずに前に進んでいくと、どんどん道が開かれていく。
泣き婆さんになるか、笑い婆さんになるかは、自分の心ひとつで決まることを肝に銘じよう。