今週のお題「いい肉」
兄が三重県に住んでいるので、山梨の実家に同じ時期に帰ると、松阪牛関係のお土産を頂くことが多い。すき焼き用の肉やしぐれ煮、そぼろ煮、どれも美味しい肉だった。
ある年に頂いた松阪牛には、牛の系図が入っていて驚いた。親牛と祖父母の牛が系図に載っていて、それぞれの牛の名前まで書いてあった。由緒ある松阪牛だと証明するものだろう。
霧降りで見るからに美味しそうな肉だった。期待に外れることなく、舌触りが柔らかく、噛むと口の中で溶けるような美味だった。頂き物でないと中々口にできない。
馬にはサラブレッドというのがあるが、牛にも血統書があるとは知らなかった。餌や環境によって栄養やストレスなどの影響を受ける話はよく聞く。しかし、血統による影響というのは、もっと本質的な問題ではないかと思う。
ところで以前、自分の家系図を調べたことがある。四代前に一度血統が絶えているような形跡があった。血統が絶えても、家系だけは残そうとしたのか、他の家の長男が養子として家(うち)に入って来た。そのお陰で家系は存続することができた。何故長男の方が養子に来たのか、そのいきさつは分からない。
また養子の実家の苗字が家(うち)の本家の屋号と同じことに気が付いた。それは多分偶然ではなく、養子に来てくれたお陰で家系が繋がった恩を忘れない為に、本家があえて養子を下さった家の苗字を屋号にしたような気がする。
養子の実家というのは、得てして忘れ去られ易いものだ。そもそも養子という存在は下に見られることが多い。先祖が家系を絶やさずに残そうとした足跡、そして養子に敬意を表し大事にしたことを知って誇りに思った。家系図を通して、自分も家系や血統というものを大切にしていきたいと思った。
何故なら、人間は親から子へ孫へと、様々な願いや理想、志を残そうとするからだ。先人の思いを引き継ぐことで、生命が永遠に繋がっていくように思う。
広い意味で考えると、人間が食べる肉や魚、野菜や果物も、人間の肉となり、骨となり、人間の体の一部となって一緒に再び生きて、新しい生命に昇華するように思う。だから人間は、食べた動植物に喜んでもらえるような生き方をしないと、
「あなたには食べられたくない。」
と、動植物からお叱りを受けるような気がする。
「いただきます。」
という言葉には、育ててくれた酪農家や農家の方たちを初め、魚を捕ってくれた漁師、また料理してくれたお母さんや調理師だけでなく、食物となった動植物に対して、
「あなたの生命を頂きますので、その生命を無駄にすることなく、世の中のお役に立つように生きていきます。」
という感謝と誓いの意味が含まれていると思う。