万年ビリからトップに

f:id:hiroukamix:20191124190452j:plain今週のお題「〇〇の成長」

 私には絶対にしたくない仕事があった。販売などの商売だ。人と話をしたり、接することが苦手だったからだ。そんな私が寄りによって訪問販売の仕事をしたことがある。本当は逃げ出したかったのだが、成り行き上やむを得ず、することになってしまった。
 最初に新人研修があった。千円くらいの商品を、一軒一軒訪問して売る訓練だった。毎日が地獄で、嫌で嫌でしょうがなかった。一日歩いても一つも売れない日が何日も続いた。売れるはずがなかった。ドアを叩かないのだから。人が出てくるのが恐ろしくて、ドアをノックできずに、同じ所をグルグルと回っているだけだった。話しをするのも怖かった。
 二百人くらいいる社員の中で、いつもビリだった。ビリ仲間がもう一人いて、いつも二人で慰め合っていた。彼は沖縄出身だったが、愛嬌も良く、イケメンで話も上手かった。何故彼がいつもビリなのかは謎だった。
 販売で訪問する任地まで、先輩社員が車で送ってくれた。ある日、任地に行く途中に、とんでもないことを考えた。
「車が事故にでもなったら、販売に行かなくて済むのに。」
 自分勝手な馬鹿なことを考えたものだ。しかし、幸か不幸か私の願いは、その日の内に実現してしまった。ただ任地に行く途中ではなく、帰りの道でのことだった。
 運転手の居眠り運転で、車が松の木に正面衝突したのだ。もし助手席に誰かが乗っていたら間違いなく即死だった。助手席がペチャンコだったので。
 廃車になるような事故にもかかわらず、幸運なことに運転手も後ろに乗っていた他の社員たちも皆無事だった。ただ私一人を除いては。運転手は眼鏡が吹っ飛んだだけで済んだ。
 私だけムチ打ち症で動けなくなって、救急車で病院に運ばれて入院した。病院の同室の人たちがとても良くしてくれた。数日間入院した後、一ヶ月くらい寝ていた。
 事故になった理由は明白である。私がそれを望んだからだ。まさか本当に事故になるとは夢にも思わなかった。願いが叶って嬉しいというより、複雑な気持ちだった。
 一ヶ月寝ている間に色んなことを考えた。
「何故あんな馬鹿なことを考えたのだろうか?」
「何故本当に事故が起こったのだろうか?」
「また何かを願ったら、それが叶うのだろうか?」
 あれやこれや考える中で、一つの結論に至った。
「強く心の中で願ったことは、形になるのではないか。」
 という思いだった。
 だったら、どうせ願うのであれば、悪いことや後ろ向きのことではなく、良いことや前向きのことを願うようにしよう、と考えた。
 過去を振り返ってみると、今まで自分は失敗したことや、苦手なこと、したくないことに対して、悪い結果ばかりを想像して、ずーっと逃げて来た。逃げて、逃げて、逃げ続けてきた。
 しかし、逃げれば逃げるほど嫌なことや悪いことがどこまでも追いかけて来て、つきまとうのだった。その結果益々不安や恐怖に襲われた。
 一ヶ月休養している間に、様々なことを考えたり、思い出した。小学校の修学旅行の前夜に、父から聞いた話が頭に浮かんだ。
「酔うと思うから酔う。酔わない、と思ったら酔わない。」
 大学を卒業する時に父からもらった祝辞も思い出した。
「当たって砕けろ。」
という言葉だ。すっかり忘れていた。
「これからは、目の前に直面したことに対しては、それがどんなことであれ、逃げずにぶつかって行こう。良い結果だけを見つめていこう。」
 と考えた。すると不思議なことに、不安や恐怖が徐々に消えていった。立ちはだかっていた壁や不可能と思っていたこともおのずと去って行った。
 体が回復して、再び私は訪問販売に戻った。明らかに以前の私とは違った。できない自分ではなく、できる自分をいつも心に描いた。様々な困難に直面したが、逃げなかった。
 段々と人と会うのが怖くなくなった。むしろ楽しくなった。それに従って実績が伸びていった。実績が出ると販売が好きになった。社内ではいつもトップの仲間入りだった。あれほど苦しみ悩んだことが嘘のようになった。
 今まではできる気がしなかったのに、それからはできない気がしないのだ。できて当然、できるのが当たり前になった。
 事故になったお陰で、人生において、とても大切なことに気づかせてもらった。
 捨てる神あれば、拾う神あり、である。