夢が描かせてくれた夕鶴

今週のお題「○○の秋」
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 芸術の秋を話題にしたいと思う。芸術の中でも絵画だ。
 中学三年生の美術の授業の時だった。夕鶴の物語をカセットテープで聞いて、自分で好きな場面を想像して絵に描くという課題が出された。描けない人の為に、先生が何度も物語のテープを流してくれた。
『ある日、与ひょうは傷ついた鶴を助ける。鶴はつうという人間の娘の姿になって、恩返しに綺麗な布を与ひょうの為に織って上げる。つうが機を織っている間は部屋の中を見てはいけない。ところが与ひょうは見てしまう。つうは鶴となって空に舞って去って行く。』
 誰でも知っているストーリーだ。
 しかし、私の頭には結局何のイメージも浮かばなかった。
 何か見える対象を描くのは得意なほうだったが、目の前に存在しない見えない物を想像するということが、私には大の苦手だった。一時間の授業が終わり、画用紙は白紙のままだった。白紙は数人だけだった。結局、宿題になった。
 家で夕鶴の物語を思い出し、イメージを必死に思い浮かべようとした。しかし、どうしても浮かばなかった。夜中の一時、二時が過ぎた。それでも何も浮かばなかった。目がうつろになった。ふと居眠りをして夢を見た。つうが鶴になって、夕日に向かって飛び去って行く場面の夢だった。まるで映画のワンシーンのように、スクリーンに映し出された。
 その瞬間ハッと夢から目が醒めた。今でも鮮明に覚えている。見てはいけないつうの姿を見てしまった与ひょうの後悔と悲しみに満ちた痛ましい表情が焼き付いている。今度は見えない対象ではなく、その場面を見たのだ。しかも瞼にハッキリと残っていた。
 与ひょうや鶴の姿、形、色、表情全てを、夢で見た通りにそのまま一気に描き上げた。自分でも感動するほど良く描けた。会心の作だった。
 実はこの絵が、五百人ほどいた三年生の中から僅か数人の中に選ばれた。中学校で描いた最後の絵だった。まさしく捨てる神あれば、拾う神あり、である。