今週のお題「○○の秋」
やはり東邦音楽大学のグランツザールというホールでのことだ。オーケストラの演奏を聴いた。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、木管楽器、金管楽器、打楽器、など多彩な顔ぶれだった。五十人以上はいただろうか。それぞれの音が合わさって、ハーモニーを生み出す。迫力があり、音楽堂全体に響いた。私の全身に振動が伝わってきた。とても感動した。何曲か続けてうっとりして聴いていた。生で聴くオーケストラは最高だ、と思った。
すると一人のオペラ歌手が舞台に登場した。オーケストラの演奏に合わせて歌い始めた。
何ということだろう。今まで、あれほど迫力を感じて圧倒されたオーケストラが、たった一人の歌手の登場によって、裏方になってしまったような気がした。
一人の歌手の存在感のほうが、五十人以上のオーケストラよりも大きいのだ。こんなことがあるのかと驚いた。それとも、歌手の歌を盛り上げるために、オーケストラが控えめに演奏していたのだろうか?
更にもう一人の歌手が登場して、男女のデュエットで歌い始めた。もうオーケストラは、完全に二人の歌手に主役を明け渡したように感じた。
二人対五十人、しかも五十人は皆立派な楽器を演奏している。それでいて何も持っていない、たった二人の歌手の存在が遥かに際立っていた。凄いことだと思った。
人間の口は、素晴らしい楽器なのだ、と思った。特に感情を表現することにかけては、どんな楽器よりも優れているのではないかと思う。
歌には人の心を揺り動かす大きな力がある。意味が分からなくても、切々と心に訴えかけてくる。
歌ばかり褒めているようだが、楽器の演奏にもたびたび感動した。特にピアノやヴァイオリンが好きだ。
東邦音楽大学のピアノの先生が弾いたショパンの夜想曲は、今でも耳にこだまするようだ。うっとりとして、聴き惚れていた。
ショパンを聴いたのは、十五年くらい前で、まだ神奈川に住んでいた時だった。私がピアノにのめり込んでいるのを知った知人の紹介だった。娘さんが音大に在学していて、素晴らしいピアノの先生がいるから、是非聴きに行って欲しいとチケットをもらい出かけた。その時は、まさか音大のこんな近くに越して来るとは思いもよらなかった。
在日朝鮮人の夫婦が小奚琴(ソヘグム)を演奏したのを聴いたことがある。小奚琴は朝鮮伝統の弦楽器で、弦が四本ある。それを馬の尾で作った弓で引いて音を出す。ヴァイオリンに似た音色だった。夫婦だけあって、二人の呼吸がピッタリだった。音と合わせて、気持ちが伝わってきた。喜びや哀愁の漂う深い情を感じた。いつまでも、ずーっと聴いていたい気分だった。