夢が描かせてくれた夕鶴(3/3)

f:id:hiroukamix:20200104111127j:plain 高校三年の時に、上野の国立科学博物館ダ・ヴィンチ展が開かれた。大学受験の前で、本来それどころではなかったはずだが、どうしても行きたかった。
 天下のダ・ヴィンチがやって来るのだ。ダ・ヴィンチは私にとって憧れであり、希望であり、夢だった。行かなければ、一生後悔するような気がした。受験勉強そっちのけで、一人で上野に行った。
 山梨から一人で東京に行ったのは、これが初めてだったような気がする。三度の飯より本が好きな兄にくっついて、神田の古本屋街に行ったことは何度かあった。
 山梨から東京に行く時にトンネルを幾つも抜けて行く。トンネルを通る度にわくわくした思い出がある。
 ダ・ヴィンチは単なる画家ではなかった。絵を極めるために、解剖学で人体の中身を研究した。またヘリコプターの設計図を描いたり、医学、科学、数学、工学、動植物学、音楽、建築、天文など多岐に渡る分野で功績を残している。まさに天才としか言いようがなかった。
 国立科学博物館で、ダ・ヴィンチの描いた人体図や設計図、それをもとにして作成したヘリコプターなどの模型を見た記憶がある。
 ダ・ヴィンチ展をネットで検索していたら、当時、モナリザ東京国立博物館に来ていた。私が何故モナリザを見に行かずに、ダ・ヴィンチ展のほうだけに行ったのか、どうしても思い出せない。モナリザを見られなかったことがとても残念だ。 
 大学四年の文化の日に、山梨県立美術館が開館した。ミレーの「種まく人」などが注目をあびた。卒論の作成で忙しい時期ではあったが、どうしてもミレーが見たくて、開館日に合わせて行った。
 朝の開館から、夕方の閉館近くまで、丸一日じっくりと見て回った。「種まく人」は人だかりだった。独特のオーラを感じた。躍動感と迫力が伝わってきた。とても感動して、満足した気分で、美術館の出口を出た。
 その直後のことだった。入る時は気づかなかったが、出口の正面に富士山が見えた。しかも夕日に照らされて、真っ赤に輝いていた。それを見た瞬間、ミレーを初め今まで見て感動したはずの絵が全て吹っ飛んでしまった。
 何ということだろう。美術館の全ての絵を合わせても、目の前に見える真っ赤な富士山にはかなわない。何億円もするミレーの絵も、この富士山の前では比較にならない。これ以上美しい芸術作品はないと思った。いったい誰がこの光景を描いたのだろうか。写真は撮らなかったが、たとえ撮ったとしても、その時の美しさは残せなかったと思う。今まで、何万回と富士山を見てきたが、あの富士以上に美しい富士は見たことがない。