我が町の桃太郎伝説

f:id:hiroukamix:20191123060025j:plain今週のお題「理想の老後」

 私の生まれは山梨の山の中だ。バスも通らない、道路の舗装もされていない田舎だった。子供の頃の遊び場所といえば、山や川が多かった。
 子供の頃に正月には、決まって凧上げをした。大会で、一番遠くまで飛ばして一等になったことがある。しかし、最後に糸が切れてしまい、凧が山の中に消えてなくなってしまった。とても愛着があった凧なのでがっかりしたが、賞品に別の凧をもらい気を取り直した。
 遊びといえば、ベーゴマ、メンコ、ビー玉、おはじき、竹馬、羽子板、トランプ、花札、双六、将棋、五目並べなどがあった。
 ベーゴマは近所の子供たちが集まってよくやった。桶の上に、テント用の頑丈なシートをかぶせて、ロープでしっかりと固定して「とこ」を作った。その上で勝負するのだ。ベーゴマに固く紐を巻きつけて、「エィっ」と掛け声をかけて、「とこ」の上でコマを回した。「とこ」から、はじき出されたり、先に止まったら負けだ。真剣勝負だった。とてもワクワクした。ベーゴマには野球選手の名前が刻まれていた。「川上」が一番人気だった。「稲尾」「国松」「金田」「長島」などがあったのを覚えている。
 竹馬も楽しかった。三メートルもある竹に、縦に二つに割った薪を針金でつけて足場を作った。足が二メートルもある竹馬だった。高さが二メートルくらいの石垣の上から竹馬に乗った。目の高さは三メートル以上だ。上から仲間を見下ろすのは気持ち良いものだった。
 五目並べは兄と弟とよくやった。負けると悔しくて、何度も挑戦した。それでも中々勝てなくて、いつも悔しい思いばかりをしていた。
 夏は川で釣りや水遊びをした。ハヤという十センチ前後の魚をよく釣った。川は泳ぐほど広いところがなかったので、滝壺などで潜って遊んだ。一度滝壺から出られなくなって死ぬかと思ったことがある。必死にもがいて水を何杯も飲んでやっとのことで出て来た。五十年以上前のことだが、今でもあの恐怖をはっきり覚えている。 
 山登りや花見、ソリやスキー、木の実や山菜取り、遊ぶ材料の調達など、山は生活の一部だった。
 木の実は栗、クルミアケビなどが取れた。山菜はワラビやフキ、ウドなどをよく採った。ワラビ取りが大好きだった。宝探しのようなゲーム感覚だったと思う。しかし苦いので食べるのは嫌いだった。
 冬になると、必ず雪が積もった。すると、自家製のソリで山道を滑った。ソリは板と竹で作った。誰のソリが一番早いか競争したものだ。毎年工夫をこらして、ソリを改良するのが楽しかった。最近は店に行けば、プラスチックのソリを売っている。自分で作る楽しみがないのが残念だと思う。
 スキーも板と竹を使って自分で作った。靴を入れるところは、近所で機織りをしていたので、古くなった機械のベルトを切って使った。山の斜面の畑がスキー場だった。小さなジャンプ台も作って飛んだ。雪のない時は、長い直線の山道に葉っぱをたくさんまいて、葉っぱスキーをした。
 冬のもう一つの楽しみはスケートだ。河原の日陰になるところに水を引いて、自然に凍ってリンクができた。初めは下駄の底に刃がついていて、紐で結んで滑ったが、不安定で転んでばかりいた。親にお願いしてスケート靴を買ってもらった。それからは、転ばずに滑れるようになった。 
 時々、山中湖にスケートに行った。湖が凍り広い自然のリンクになった。スケートに疲れたり、飽きると、湖の氷に穴を開けて、ワカサギを釣った。細いノコギリで、直径が三十センチほどの穴を開けて、短い竿で釣り糸を垂らした。
 すると小さなワカサギがたくさん釣れた。七輪でその場で焼いて食べると、最高のご馳走だった。
 一度、湖の氷の割れ目に人が落ちたのを見たことがある。すぐに助けられて、事なきを得たので良かった。自然のリンクは危険が伴う。 
 家の目の前に、稚児落としという恐ろしい名前の山がある。武田信玄に仕えた武田二十四将の一人に小山田信茂がいた。信茂の岩殿山城が織田軍に包囲された時に、信茂の側室が子供を連れて岩殿山城から逃げた。途中で稚児が泣き出し敵に見つかるので、落としたといわれる岩山だ。鎧の内側が外を向いているような岩だ。元々は岩で音や声が反響するので、呼ばわり谷といわれていたそうだ。曰く付きではあるが、岩の上からの見晴らしは最高だ。
 その隣に天神山、兜岩、そして岩殿山がある。岩殿山は稚児落としと逆に鎧の表が外に出ているような形をした岩だ。頂上からは大月の町並とその向こうに富士山が見える絶景のポイントだ。
 岩殿山の標高は六三四メートルで、スカイツリーと同じ高さだ。下から見上げると、巨大な岩が凛々しくそびえ立ち、とても雄大な姿をしている。中央線で帰省すると、岩殿山の姿が見えると、ようやく田舎に帰ってきた実感を持つ。桜の名所で、桜まつりが毎年行われる。
 最近は駅の案内所で岩殿山から稚児落としまでのハイキングコースの地図を配布しているので、大勢の登山者を見かける。
 大月の町をはさんで、岩殿山の反対側に菊花山がある。菊の花の化石がたくさん見つかったので、そう呼ぶようになったようだ。昔はこの山は「林宝山(りんぽうさん)」という名前だった。しかし子供の時は「貧乏山(びんぼうさん)」と呼んでいた。町の南側にデンと構えていて、町を照らす太陽の光を遮っていた。町の光が貧しく乏しいので、貧乏山と呼ぶのかと本気で思っていた。だいぶ立ってから、この山は「林宝山」という名前だと分かった。
 稚児落としの北西に雁ヶ腹摺山という山がある。正月に父や兄と登った。この山から見える富士山の絵が古い五百円札の裏に描かれていた。
 私が生まれた大月市には桃太郎伝説というのがある。
 大月駅の隣が猿橋だ。日本三奇橋の一つで、猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て、百済の渡来人が造ったという。
 猿橋の隣が鳥沢だ。その近くに犬目がある。また百蔵山(桃倉山)という山があり、その麓で桃太郎が生まれたという。岩殿山には鬼の洞窟というのもある。猿、鳥、犬、桃、鬼、これで役者が揃った。
 伝説なので、真実は分からない。そもそもおとぎ話の世界なので、空想を膨らませて、楽しく町起こしをするのが良いのではないかと思う。