地獄の行軍(1/2)

f:id:hiroukamix:20200218190046p:plain 何度か行軍をしたことがある。最初は高校の時だった。同じ学年の全生徒が、高校を出発して田舎道を通り、どこか目的地は忘れたが、三十キロを行軍した。歩いても走ってもどちらでも良かった。
 私は十キロ以上走ったことがなかったので、最初は歩くつもりだったが、卓球部の友だちに誘われて走った。これが良くなかった。卓球部は毎日走っていたので三十キロくらい何でもなかった。私は柔道部で、普段そんなに走っていなかった。半分も行かないうちにバテてしまった。
 前半は調子良く先頭集団にいたが、後半はみるみるうちに追い越されて、結局ビリのほうになった。最後は死ぬような思いで、必死に歩いて目的地に辿り着いた。行軍が大嫌いになった。二度と行軍はしたいとは思わなかった。
 しかし、それから十年ほど立ってから、再び行軍することになった。職場の仲間と尾瀬にハイキングに行った。ハイキングとは名ばかりで、まさに行軍だった。
 初めは木道をハイキング気分で歩いていた。池や草花、遠くの山々を見ながら楽しく歩いた。しかし、途中からどうも雲行きが怪しくなってきた。
 目的地らしいところが見えてきて、あともう少しだ、と思って行くと、更に道が続いていた。しかも遥か彼方まで。
 またしばらく歩き、目的地のようなところが見えてきて、今度こそ、と思うとその奥に更に道が続いていた。
 そんなことが何度も繰り返され、これでもか、これでもか、と延々と道が続いていた。朝から歩いて、夕方日が沈んでも目的地に着かなかった。
 途中に池や滝など何か見どころもあったのかもしれないが、何の記憶もない。行けども行けども目的地は逆にどんどん遠のいていった。気の遠くなるほど広い湿原の記憶しかない。もう尾瀬には二度と来たくないと思った。
 それから更に二十年以上立ってから、三度目の行軍をした。大宮から代々木公園までの約三十三キロだった。二十人くらいで歩いた。
 この時も最初は何も問題はなかった。しかし、段々と靴の中に違和感を感じ始めた。どうも足に豆ができたらしい。足の裏が地面に着くたびにズキンと痛んだ。休憩の時、靴下を脱いで見ると、足の裏に豆が四つも五つもできていた。いくつか潰れていた。痛くて痛くてしょうがなかった。小石を踏むと足の裏に激痛が走った。膝も腰も限界だった。
 段々と先頭集団から遅れ出した。一人でとぼとぼと足を引きづりながら歩いた。 
 何も考えずにただ黙々と歩いた。やっとの思いで目的地の代々木公園に着いた。近くにあったベンチに倒れ込むようにして座った。ようやくこれで終わった。もう歩かなくて良いと安堵した。
 すると、誰かが言った。
明治神宮まで行こう。」
 マラソンが終わって、
「はい、もう一周。」
 と言われた気分だった。しかも明治神宮の参道の砂利道がくせ者だった。一歩一歩、歩くたびに足の裏に耐え難い痛みを感じた。ゆっくり、ゆっくり、そーっと歩いた。しかし、明治神宮の参道は針地獄だった。
 拝殿に着いたが、参拝どころではなかった。ただ足の痛みに耐えているだけだった。しかし、神前だったので、最後に目的地まで歩き通せたことを感謝して行軍を終えた。
 帰って足を見たら、爪が三つも死んで真っ黒になっていた。新しい爪が生えるまで一ヶ月以上かかったと思う。もう行軍は懲り懲りだと思った。