桃栗三年柿八年

f:id:hiroukamix:20191123060532j:plain今週のお題「わたしの自由研究」
 私の自由研究は、植物の生育と育生だ。こんなに楽しいテーマはない。
 さて、松ぼっくりは生まれる前から、山火事があるのを知っていたに違いない。
 以前、アメリカなどで起きた山火事のニュースをよく聞いた。不思議なことに、あえて消火活動をしない場合があるという。そのほうが元の自然が再現されるというのだ。
 燃えた草木が肥やしとなる。そこに鳥や虫、風が種を運んで来る。蜂や蝶が受粉を助ける。環境に頼るだけではなく、植物自身の中に生きる意志や子孫を残す仕組みがあるようだ。
 ある松の仲間がある。山火事で木も葉も焼けてしまう。しかし焼け跡に松の実が残る。松ぼっくりである。火事でも焼けないのだ。ハンマーで叩いても壊れないという。頑丈にできている。では、その松ぼっくりは、いつ、どのようにして種を撒くのだろうか?
 雨が降ったその後に、太陽の光が差すと、自然と松ぼっくりが開き、地面に種が撒かれるそうだ。
 何と賢い植物だろうか?火で焼かれ、水に触れて、日を浴びて初めて芽が出る。そのようにして、子孫を残している。従って山火事が起きないと、子孫を残せない仕組みなのだ。
 だから、この松ぼっくりは生まれる前から山火事が起こることを知っていたことになる。足がなく歩くこともできず、口がなく喋ることもできない松ぼっくりが、生きる術や子孫を残す術を知っているのは驚きだ。
 植物には人間が想像できない不思議な仕組みや、感動的な営みがある。そんな植物が私は大好きだ。いつも私の身近には植物がある。 
 アパートや集合住宅の借家暮らしがほとんどだったが、一度だけ所沢に住んでいた時に、一軒家の借家に住んだことがある。猫の額ほどの庭があった。
 嬉しくて、花の種を植えた。春はパンジービオラ、デージー、ノースポールなど、夏はニゲラ、トレニアペチュニアなど、秋はコスモス、マリーゴールドケイトウなどを育てた。ゼラニウムはほぼ一年中咲き続け、二世もできた。
 妻にプレゼントしたカーネーションは十年ほど毎年花を咲かせ続けている。一年の半分くらいは花をつけている。今まで五十種類以上の花を育てた。
 花に少し飽きた後、今度は野菜の種を撒いてみた。大根、人参、ほうれん草、春菊、ラディッシュなど三十種類くらいの野菜を育てた。自分で育てた野菜が食卓に乗るのは嬉しいことだ。
 さつま芋を買って食べた時に、端っこを三センチくらい切って残した。その切り口を下にして、水を入れた小皿の上に置いておいた。しばらくしたら、葉っぱが数本出てきた。六月頃に、葉がついた数本の茎を植えた。十月頃掘って見ると、五、六個のさつま芋ができていた。美味しいさつま芋だった。
 どうしても上手く育てられない野菜もあった。ナスやキュウリはまともに育ったためしがない。アブラムシの総攻撃を受けたり、病気で枯れてしまった。トウモロコシも育たなかった。がっかりだった。
 野菜の後は、挿し木をしてみた。家のそばの道路で街路樹の伐採をしていた。無窮花だった。切って捨てられた枝を一本もらってきた。二十センチくらいに切った枝を、水を入れたコップに入れておいたら三日もしない内に根が出た。みるみる内に根が伸びてきた。わずか二十センチほどしかなかった無窮花の枝はどんどん成長して、一年も立たずに花が咲いた。凄い生命力に驚いた。
 その後集合住宅に移りベランダでは収まり切れなくなったので、住宅の敷地に植えた。今では二メートル以上になり毎年二百以上の花をつけるようになった。
 キョウチクトウの枝も成長が早かった。水の入ったコップに入れてから、一週間もしない内に根が出た。
 ツツジは挿し木から十年近く立って数輪の花が咲いた。翌年は七、八輪、毎年増えていった。十センチほどの棒切れから綺麗な花が咲くようになり、生命の不思議さを感じざるを得なかった。手に入る木を手当たり次第に挿してみた。五十種類くらいの木を挿しただろうか。
 次に食べ撒きをした。自分が食べた野菜や果物の種を片っ端から撒いてみた。柿、りんご、キュウイ、葡萄、みかん、アボカド、さくらんぼ、桃、トマト、スイカ、カボチャ、何でも撒いた。
 種から芽が出て、葉がつき、成長するのが感動的だった。これは最初始めた花や野菜の時と同じだが、自分が食べた物から撒いた種は、全く別物だった。
 一つだけどうしても名前が分からない木がある。次から次へと食べた果物の種を撒いたが、名前をつけなかったので、何の種が芽を出したのか分からなくなってしまった。一メートルくらいに伸びたが、木や葉を見ても分からない。いつか花が咲いたら分かるかもしれない、と思って、もう十年近くひたすら水を上げている。
 種から実が成るのは簡単ではない。
「桃栗三年柿八年、梅は酸いとて十三年、枇杷と梨は十五年、柚子は阿呆の十八年、みかん大馬鹿二十年、林檎ニコニコ二五年、女房の不作は六十年、亭主の不作はこれまた一生」
 去年(二〇一八年)になって、その頃撒いた柿の種から、初めて二輪の花が咲いた。柿八年ではなく、十年以上かかった。しかし、残念ながら実が成る前に花が落ちてしまった。
 葡萄も去年初めて花が咲き、四房実が成った。十年以上も立ち、本当に実が実るのだろうかと半ば諦めかけていたのでとても嬉しかった。小さな実で、少し酸っぱかったが、美味しかった。今年は二十以上も房がついている。実が大きくなるのが楽しみだ。
 みかんは実が成るのに二十年もかかるので、接ぎ木をした。五、六本の枝を接いだが、一年目は全部失敗した。二年目は三本ほど接いで、一つだけ成功した。接ぎ木した穂から芽が出て、葉がついた時はとても感動的だった。何年かして、実がなった。甘くて美味しかったのでとても嬉しかった。しかし最近は花はたくさん咲くが、実が大きくなる前に全て落ちてしまう。原因は分からない。
 今ベランダには、葡萄、みかん、柿などの木とゼラニウムカーネーションの花、ニラ、ニンニク、イチゴ、アロエに加えて、シダ類や苔、多肉植物を寄せ植えした丸いプランターが所狭しと並んでいる。
「洗濯物を干すのに邪魔なので、鉢を少し減らして頂戴。」
 と妻からはよく苦情がくる。