立ち止まって見つめ直す

お題「#この1年の変化」
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 1年を振り返ると、何と言っても新型コロナウィルスの出現が一番の衝撃でした。令和を迎えたばかりですが、平成、昭和を遡り、江戸時代まで逆戻りしたような気持ちです。
 今までの常識が通用しなくなりました。時代の迷子が大勢生まれているような気がします。前に進む事ができない、後ろに戻る事もできない、立ち往生してしまう人が多いと思います。
 100年以上の伝統のある老舗旅館や料亭が倒産に追いやられています。ホテルや外食関係、航空機会社や旅行会社、様々な分野の経済活動が行き詰まっています。
 人間関係の基本は直接的な触れ合いや絆です。それが今やソーシャルディスタンスによって奪われつつあります。今まで知らず知らずの内に作ってしまった人との壁や社会の壁、国と国との壁、人と自然との壁が、ただ形に現れただけかも知れません。コロナはその警告だと感じさせられます。
 その中で危機を機会として捉え、前向きに進もうとする人たちも少なからずいます。そちらの方が多いかもしれません。
 オンラインでの会議やオンライン授業、在宅ワークなどネット関係の取り組みは、逆に未来を先取りしました。
 アメリカで一番学力の高い大学が、校舎のない、全てオンライン授業の大学である事を考えると、そのような分野では意味があるように思います。
 また巣ごもり消費を支えたネット通販、IT・ソフトウェア業界、ゲーム関連、テレワーク関連、デリバリーなどが躍進しています。新しい生活様式が次々と紹介されています。既成概念にとらわれず、可能性を切り開く良い機会でもあります。
 コロナを通して経済活動が止まったお陰で、大気汚染や水質汚染が改善したり、車の渋滞が解消されたり、といった副産物もありました。
 今私達は一度立ち止まって、社会や国、政治や経済、医療、家族や人間関係のあり方、自然との共生、更には生きる意味などを見つめ直す大切な機会かも知れません。

イチゴ狩り

f:id:hiroukamix:20210205200927j:plain 毎年この時期に、イチゴ狩りに行きます。今回は去年出来たばかりの農園ロコファームHANYUに行きました。
 3種類のイチゴがあり、食べ比べる事が出来ました。一番甘かったのは「紅ほっぺ」でした。
 制限時間は30分でしたが、15分もすると、お腹いっぱいになりました。それでも、大きくて真っ赤なイチゴを見ると、つい手が出てしまいます。
f:id:hiroukamix:20210205215028j:plain 花の受粉を助ける為に、大きな蜂がブンブン飛んでいました。「大人しいから大丈夫ですよ。」と言われていた通りに、大きい割には大人しく、じっと私達を見守るように飛んでいました。
 蜂が地上からいなくなると、多くの植物が種を残せなくなると言います。蜂は花の受粉を助け、花は恩返しに蜜を蜂に上げます。自然界は皆、持ちつ持たれつで成り立っています。
 しかし人間は、一方的に自然界から多くの恩恵を受けているような気がします。太陽の恵み、雨の恵み、空気の恵み、山の幸、海の幸、美しい景色、など。私達は何を自然にお返ししているでしょうか?お世話になり放しで、何も返していない気がします。せめて、「有り難う。」と感謝の言葉を述べたいと思います。
「イチゴさん、蜂さん、今日は楽しい時間を有り難うございました。」

心の中の鬼

今週のお題「鬼」
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 今日は節分の日です。普段は2月3日ですが、2月2日の節分の日は124年振りだそうです。地球が太陽を回るのがぴったり365日ではない事から、たまにズレるようです。
「鬼は外」と言いますが、「鬼」は本当にいるようです。「邪気」は「邪鬼」に通じます。「魔が差す」とか「病魔」「邪魔」「睡魔」「色魔」の「魔」も、字の中に「鬼」がいます。
 鬼は、家の中だけではなく、心や体の中にもいるようです。油断をしたり、不摂生をしたり、欲を出すと、鬼が侵入して来たり、暴れ出すようです。もしかしたら、元々自分の中に住んでいるのかもしれません。
「血気(鬼)」「怒気(鬼)」などとも言います。「分かっちゃいるけど、止められない。」などと言う時は、心の中の鬼が平常心をなくさせて、自暴自棄(鬼)にして、暴れているのかもしれません。
 鬼は心のすきを見て入って来ます。特に酒やギャンブル、異性問題を通して一瞬の内に入る事があります。いわゆる「飲む、打つ、買う」という行為です。つい昨日も、非常事態宣言中に夜遅くまで飲み歩いた責任を取って辞職したり、離党した与党議員が4人いました。一瞬の鬼の攻撃で、我を忘れて、一生を棒に振る場合もあります。
 鬼に気を付けなければなりません。「鬼」にやられないように、毎日心の中で豆まきが必要かもしれません。「魔」を「滅」するのが、「魔滅」=「豆」かなと思います。

カラスの散歩

f:id:hiroukamix:20210123092040p:plain 今日は朝からパラパラと雨が降っています。午後からは雪が降ると天気予報が伝えていましたが、そんなに寒い訳ではありません。前回の雪の予報は空振りでした。
 駅のプラットフォームで電車を待っていると、カラスが一羽、線路の上を歩いて来ました。どうやら散歩のようです。
 反対側の線路にはスズメがピョンピョンと跳ねています。こちらも散歩のようです。お互いにすれ違っても目もくれません。
 カラスは線路から降りて、今度は砂利石の上を歩いています。歩き辛いのか再び線路の上に戻りました。
 電車が近付いて来ました。スズメはさっと飛んで行きました。カラスは悠長にまだ散歩中です。飛び立つ気配がありません。
 電車がプラットフォームに入って来ましたが、カラスはお構いなしです。反対側の線路だからです。カラスが散歩している線路にも電車が近付いて来ました。さすがにカラスも飛び立ちました。
 川越線は単線なので、いつも駅で上りと下りが行き違います。どちらかが遅れると、他方も必ず遅れます。
 今日は土曜日なので、いつもよりは人が少ないですが、それでもかなりの人混みです。電車の中は毎日「密」が避けられません。今日もコロナを正しく恐れながら、朝の出勤です。

下坐に生きる③

f:id:hiroukamix:20210122054643j:plain 三上さんが食べたのを見届けて、少年は初めて心を開き、話を聞きます。どんなに良い話でも、人は心を開かなければ聞く耳を持ちません。三上さんは、人は誰かの役に立つように生まれてきた話をします。しかし少年はあと数日の命です。
「俺はもう明日にも死ぬ命なのに、人の役には立てない。」
と言います。しかし、三上さんは暴言を吐いたり、人を睨みつけるのではなく、「有り難う。」と言ったり、笑顔を見せるだけでも、人の役に立つという話をしました。少年は、それなら自分にもできる、という思いになりました。
 最後に少年は一つお願いがある、と言います。三上さんが聞くと、
「今度子供たちに話をする時に、親に小言を言われても反抗するなって言ってくれ。俺みたいに、言ってくれる人が誰もいないってのは寂しいもんだ。それに対して文句を言うのは贅沢だ。」
と言いました。それを約束して三上さんは少年と別れました。
 その翌日、「殺せ」と毎日わめいていた少年は笑顔で医師を迎えました。そして亡くなる時は合掌をしていたと言います。神も仏もないと言って、周りの人に悪態をついていた少年の最後とは思えなかったそうです。
 三上さんの温かい心が、冷たく閉じた少年の心を開きました。私たちの身近にも、孤独で寂しい人がいるに違いありません。そんな人の心を、少しでも溶かす事ができれば幸いです。

下坐に生きる②

f:id:hiroukamix:20210121052828j:plain 少年の前に一人の人物が現れます。その人は、一軒一軒トイレ掃除をしながら訪問する事で有名な、一灯園という京都にある修養団体の、三上和志さんという方でした。この病院に有り難い話をする為に来しました。
 三上さんの話が終わったあと、院長先生が、重体で個室から一歩も出る事ができない少年にも聞かせてやりたいと思い、三上さんにお願いしました。一緒に少年のいる個室に行きました。しかし少年は
「うるせー!」
と言って拒絶します。三上さんはドアを閉めて出ようとしますが、振り返ると、少年の目に、孤独なのに素直に表現できない、ひねくれた感情が見えました。
f:id:hiroukamix:20210121052857j:plain そこで三上さんは少年に歩み寄って、一晩看病する事にしました。院長先生は、結核が移るから危険だ、と止めますが、三上さんは
「自分の子供だったら、そうするでしょう。」
と言って、止めるのも聞かず残りました。三上さんは体をさすりながら話をしました。少年は先ほどの生まれたいきさつや入院の経緯を語りました。
 夕食が来て、少年は食べ残すと、残りを三上さんに食べるように勧めます。結核患者の食べ残しを結核患者が使ったスプーンで食べたら、本当に移ってしまいます。三上さんは一瞬ためらいましたが、少年が自分の親切が本物かどうか試しているのだと悟り、食べました。恨みの深い人は、わざと人を困らせたり、怒らせて試します。三上さんは、明日死んだとしても、今日一日は誠でありたいと思い、食べたのです。

続く

下坐に生きる①

f:id:hiroukamix:20210120053700j:plain ドキュメンタリー作家の神渡良平氏の本は、事実だけに、いつもとても感動します。そして説得力があります。氏の本に『下坐に生きる』という本があります。その中に、温かい心で孤独で寂しい少年の心を溶かした方の話があります。今日から3回に渡って、話のおすそ分けをしたいと思います。
 その少年は親の愛を受ける事なく人間不信の塊でした。うどん屋の娘の所に遊びに来ていた大工との間にできた少年でした。娘が妊娠したと聞いてから大工は来なくなりました。娘は少年を産んで、そのまま亡くなったそうです。
 ですから、その少年は父親も母親も知りません。天涯孤独の人生でした。施設に預けられた後、母親がいたうどん屋で働いていましたが、主人の暴言や暴力の為にうどん屋を飛び出しました。そして神社の賽銭泥棒をしながら神社の縁の下で暮らしていたそうです。
 賽銭泥棒が見つかり、補導されて少年院に入れられました。その後結核となり、病院に入院しました。病院では誰にも心を開かず、
「院長の馬鹿野郎」とか
「早く殺せ」
と言っては、周囲の人々を困らせました。
 実は、この少年は、あと数日しか命が持たないという状況でした。このまま、もし終わっていたら、無念な生涯だったと思います。しかし、捨てる神あれば、拾う神あり、です。

続く