金メダルの笑顔③

f:id:hiroukamix:20200327053729j:plain いつものように淡い期待を持って、恐る恐るポストの中を覗いた。「あっ」と思わず叫んだ。何と生まれて初めて見る国際便が入っていた。白い封筒に"Air Mail"の文字があり、宛名も名前も全て英語だった。とうとう返事が帰って来たのだ。天にも昇る気持ちになった。
 手紙は"Dear friends"から始まって、最後は"Janet Lynn"のサインで終わっていた。friendsで分かるように、沢山のファンレターが行ったに違いなかった。
 手紙は要約すると、
「私は神から与えられた愛を広める為に努力している。全ての人は、神から素晴らしい才能を与えられている。時として、それは大変な努力を要する。それでも私たちが、全力を尽くして自分の才能を伸ばし、発揮することが神と人類の願いだ。」と書いてあった。
 何と希望に溢れる言葉だろうか?あの太陽のような眩しい笑顔は、神の愛を人々に伝える表現だったのだ。単なる個人的な感情ではなかった。何か合点がいったような気がした。
 更に、人間には例外なく一人一人に、かけがえのない才能が、天から与えられている。それを信じて、探して引き出し、努力して磨きさえすれば、誰でも発揮できるという。そもそもスケートは、ジャネット・リンにとっては優劣を競う競技ではなく、天から与えられた才能を表現する手段だったのだ。劣等感の塊のような当時の自分にとっては、とても勇気づけられ、希望的な言葉だった。
 一人の笑顔が多くの人々に希望と勇気を与えた。とても素晴らしいことだと思う。
 オリンピックの後、ジャネット・リンは「札幌の恋人」「銀盤の妖精」などと呼ばれて、日本中の人々から愛された。あの笑顔に魅了されたのは、私だけではなかったのだ。

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金メダルの笑顔②

f:id:hiroukamix:20200326053626j:plain そして、運命の瞬間はジャンプの時にやってきた。何回転かして着地する、その時だった。思わず、「あーっ」と大きな溜め息をついた。
 着地に失敗して、すってんころりんと大きく尻餅をついてしまったのだ。しかし、本当に驚いたのは次の瞬間だった。転んだ直後、何もなかったかのように笑顔で起き上がり、残りの演技を見事に締めくくった。最後は満面の笑みだった。まるで転ぶこともなく、最高の演技で金メダルを取ったかのような笑顔だった。
 普通の選手なら、苦笑いをするか、悔しさを表現しただろう。しかし、ジャネット・リンの余りにも爽やかな笑顔に、一瞬で虜になってしまった。
 あの太陽のような眩しい笑顔は、作り笑いや苦笑いでは決してなかった。
 それで自分の拙い英語能力も顧みずに無謀な挑戦を始めた。辞書を片手に精一杯の努力をして何日もかかってようやく手紙を書いた。内容は全く覚えていない。ところが肝腎の住所が分からない。アメリカという宛名だけで行くはずもない。結局住所を探すのに2ヶ月くらいかかっただろうか。
 出したは良いが、返事など絶対に来ないだろう、と期待は余りしていなかった。しかし、もしかしたらと、淡い思いを抱いて毎日家の外にあるポストを見に行った。何ヶ月も音沙汰がなかった。やっぱり来る訳がないなと、諦めかけた頃だった。

続く

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金メダルの笑顔①

f:id:hiroukamix:20200325045735j:plain 中学生の時に札幌冬季オリンピックがあった。日本、そしてアジアで初めての冬季オリンピックだった。
 日本のジャンプ選手たちも活躍して、金銀銅を独占して日本中が湧いた。その後、日の丸飛行隊と呼ばれるようになった。
 フィギュアスケート女子の金メダル候補にアメリカのジャネット・リンがいた。結果は銅メダルだった。その時の金メダルと銀メダルを取った選手は覚えていない。しかし、銅メダルのジャネット・リンだけは今でも鮮明に覚えている。
 何故かと言うと、私が生まれて初めてラブレターを書いた人だからだ。正しく言うとファンレターかもしれないが。しかも英語で書かなければならない。そんなに得意ではなく、特に英作文は苦手だったので、相当な決意が必要だった。
 それでも私が手紙を書こうと思ったのは、ジャネット・リンのある瞬間が私の心を捉えたからだ。
 それはオリンピックでの演技の時だった。ジャネット・リンは金髪をなびかせながら優雅に滑っていた。スピンの時は遠心力で金髪が羽根のように広がって特に美しかった。

続く

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英語④締切ぎりぎりに提出した卒論

f:id:hiroukamix:20200324050749j:plain 私は大学で電気工学を学んだ。卒業論文提出の最終日のことだった。締め切り時間まで、あと一時間しかなかったが、まだタイプライターと格闘中だった。主任教授が待ち切れずに、私のいる部屋まで様子を見に来た。
「あと一時間も残っていないが、まだできないのか?」
「まだ途中です。終わり次第お持ちしますので、もう少し待って下さい。」
 そう言って、またタイプライターに向かった。
 五分前にようやく打ち終わった。と思ったら、一ページ目を見ると、いきなり誤字を発見した。直ぐ訂正して、それ以上は見ずに、主任教授のもとへ提出に行った。
 教授はヒヤヒヤしながら待っていた。
「君が最後だ。遅かったじゃないか。」
 少し怒りを含んだような声で言った。しかし論文を見て、急に優しい声に変わった。
「英語で書いたのか。大変だったね。」 
 中身はともかく、電気工学部で英語の卒論を提出したのは私一人だけだった。
 この前正月に実家へ帰った時、卒論のコピーが目に入ったので開いてみた。専門用語も多く、理解しずらかった。よく書いたな、と自分でも感心した。
f:id:hiroukamix:20200324072042j:plain「あっ」
 と思わず叫んでしまった。最後のページに誤字を発見した。今更直してもしょうがない。40年前に英語に挑戦して、格闘した勲章かなと思った。

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英語③楽しかったネイティブとの交流

f:id:hiroukamix:20200323061853j:plain 学生時代に大学と駅の丁度真ん中当たりに、アメリカ人の宣教師がいるオープンハウスがあった。無料で英会話を教えてくれる、というポスターを見て、大学の帰りに良く立ち寄った。ビリヤードも置いてあり、ちょっとした憩いの場だった。
 私が行っている間に、アメリカ人の宣教師は3人くらい代わった。皆とても気さくで、明るい人たちだった。
 ESSのスピーチコンテストの前などは、いつも原稿や発音のチェックをしてくれる力強い見方だった。毎日マンツーマンで、親身になって教えてくれた。心配して、コンテストの会場まで聞きに来てくれた。
 ビリヤードもよくやったが、中々上達はしなかった。それ以上に、英会話の方が楽しかった。
 宣教師はESSの部室にも来てくれたり、合宿にも一緒に参加してくれた。
 ネイティブとの交流を通して英語を学んだだけではなく、文化の違いも感じた。とてもフレンドリーでストレートなところが嬉しかった。本場(?)のクリスマスにも招待され、雰囲気を味わった。
 当時教わった英語の歌は、今でも幾つか覚えていて、自然と口から出ることがある。学んだ英会話も、しっかり覚えていたらもっと良かったが・・・。

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英語②久し振りの英語で緊張

f:id:hiroukamix:20200525162622p:plain 数年前、息子がアメリカに留学している時に、ホームステイ先の主人が仕事で日本に来ることになった。せっかくなので、私に会いたいと言ってきた。大変なことになった、と思った。
 学生時代はESSという英会話のサークルに入っていて、何とか喋れたが、四十年近く全く使っていなかったので、ほとんど聞き取れないし、言葉も出てこなくなっていた。あわてて、にわか勉強を始めた。
 まるで、試験勉強のようだった。自己紹介の言葉を英作して、ノートに書いた。辞書を引いたり、暗記したり、必死に準備した。
 仕事の都合で会えなくなった、などと連絡が来れば良いと、虫の良いことを考えた。だが、残念ながら、その日がやって来た。
 上野公園で待ち合わせをした。大きなイベントをしていて人が大勢で、中々見つからなかった。電話をして、やっと会えた。アジア系のアメリカ人だった。息子の大学で、英語を教えていた若いアメリカ人の先生と以前ホームステイをしていた日本人の青年も一緒だった。
 久し振りの生の英語だったが、何とか話すことはできた。しかし、相手の言葉が早いのと、周りが騒がしいのとで、何を言っているのか良く理解できなかった。何度も聞き返して、ようやく分かった。終始ヒヤヒヤドキドキだった。
 1時間くらいイベント会場で軽食を食べたり、会話をして交流した。息子のホームステイ先での様子を聞いたり、お礼を伝えたり、日本文化の話をした。
 とても長く感じられた緊張の1時間だった。ようやく終わってほっとした。面接試験が終わったような気分だった。

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英語①ESSの思い出

f:id:hiroukamix:20200321062916j:plain 大学の時にESSというサークルに入っていた。English Speaking Society の略で、英会話のサークルだった。通称「エッサッサ」と呼んでいた。
 とても楽しいサークルで、大学の授業が終わると、毎日必ず部室に向かった。他の学部や学科の人達と交流できるのも楽しみの一つだった。
 渓谷に行って、テントを張ってキャンプをしたり、合宿して特訓した思い出がある。合宿中は英語しか喋ってはいけないルールがあった。夢の中でも英語を喋っていた。おばあちゃんが英語で登場したので、目が醒めてから笑ってしまった。
 毎年スピーチコンテストやオーラルコンテストがあった。運良く、一年の時に、県大会で優勝してしまった。自分でもビックリした。
 大学近くのキリスト教会にアメリカ人の宣教師がいた。サークルに来て英語を教えてくれたり、合宿に一緒に参加して教えてくれた。
 卒業後は、ほとんど英語を使わなかったので、残念ながらだいぶ忘れてしまった。

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